2011年02月01日

『機』2011年2月号:都市空間の解剖 中村良夫

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歴史学のなかでの都市研究
 社会学や心理学など他の学問領域との垣根をとりはらい諸学のフォーラムを作りながら、心性や感性など人間の暮らしのあり様の全体をその深層構造に遡って見渡す視点に立ち、総合的学知を目指すアナール派の歴史学。その全体知の矛先が都市という巨像へたち向ったとき、どのような世界が見えてくるのか。
 本書(叢書・歴史を拓く<新版>4『都市空間の解剖』)の視野をそのように限ってみても、何ぶんにも専門的な学術論文の集成である。寝転がって読める本ではないが、さいわいなことに編者の福井憲彦氏の丁寧な指南に救われてたのしく読みとおす事ができるだろう。
 ヨーロッパ近代社会の発想そのものが、市民的自由にその自己同一性をもとめたゆえに、歴史学が、中世自治都市の法制史的研究に没頭したのは、無理も無いことだが、それにしても、「歴史学のなかでの都市研究は、もっぱら近代性の母胎としての都市(…)の起源・変遷という観点に、あまりに強くとらわれてきた。(…)都市対農村という二項対立的な対比のもとで、都市そのもののうちにあまりに閉じこもりすぎる傾向をもった」といえる。
 しかし、このフランス・アナール派の論文をいま読み直して感じることだが、古典的な法制史研究が切り開いたヨーロッパ都市像は色あせたどころか、むしろそれが、多面的な都市像の中であらたに彩色されているようだ。とくにここに収められた論文のうち、中世都市をあつかった「中世フランスにおける托鉢修道会と都市化」を読むと、都市とはなにかという問いを巡って、事実上の自治都市の分布は予想以上に広く、且つそのイメージは萎むどころかむしろ立体的に迫ってくるようにさえ思われた。

ポリエードルとしての都市
 それはともかく、所収の五編の研究論文は、いずれも問題や対象をきわめて限定した個別的実証研究ではあるが、編者はそれらを総覧したうえで、次のようにその総括的な意味づけと展望を試みている。


 1 ポリエードル(多面体)としての都市
 2 都市と地域的ネットワーク
 3 社会諸集団の空間的差異化
 4 モデルとなるべき都市、あるいは都市の権力
 5 生きられた都市


 「ポリエードルとしての都市を構成している複雑な多面と対応して、問題設定もまた多面的になることを余儀なくされる。それらの多面が、都市空間のなかにいかにしるしこまれているのか、そして知覚され、生きられているのか、逆からいえば、都市空間の解剖によって、ポリエードルとしての都市がいかに解析されうるか、ということが、問題とされるにいたっている。」実際、都市は「一体的な共同性」という前提を拒む入れ子のように、多面体のなかにまた別の多面体を包みこむ複雑体であることを、本書に収められた諸論文はみせてくれる。社会階層間の隔離と浸透、都市―農村間人口流動、社会集団間あるいはその内部での軋轢と暴力的拮抗……。そして文明のモデルとしての開明的な都市パースペクティブの裏路地には、生命体としての都市が身悶えしているのだ。都市空間を覆う差異的クモの巣にからめとられた「界隈」からは、そこで生きる人間の鼓動が聞こえてくるようである。
 ショエの言葉によれば「都市空間を、諸関係が織りなすシステムとして考察する」アナール派の立場は、この半世紀ばかりの間、専門家を悩ませてきた「進歩主義的都市観」と「文化主義的都市観」の対立を昇華させる一つの有力な動機になるはずだ。
 上質のフォアグラのように濃厚なフランス都市の解剖体に舌つづみを打ったところで、十八世紀江戸の都市空間に関する小木新造氏のコメントが差し出されると、その清々しい山水の姿と小粋な江戸文化にホっとする。フランス料理のあとはお茶づけがいい。

(なかむら・よしお/東京工業大学名誉教授)