2011年02月01日

『機』2011年2月号:「沖縄問題」とは何か

前号   次号


「海兵隊の抑止力」という虚偽説明
 二〇〇九年八月末、日本でようやく本格的な政権交代が起きた。普天間基地の県外・国外移設を公約に掲げた鳩山代表率いる民主党が衆議院選挙で大勝し、沖縄の基地に関しても政策転換が期待された。その後、沖縄普天間の文字が連日のように本土の新聞やテレビをも賑わし、沖縄が直面する問題に沖縄だけでなく本土の人々も関心をもっているかのように思われた。
 それだけに二〇一〇年五月末の日米合意はあっけないものであった。鳩山前首相は、迷走の末、沖縄の米軍基地、とりわけ海兵隊の抑止力を理由にあっさりと公約を撤回し、県内移設容認に転じて退陣した。後継の菅首相も就任直後、即座に日米合意の踏襲を明言した。
 この民主党政権の方針転換に関しては、立場によって様々な見解があり得る。だが、少なくとも海兵隊の抑止力を理由にするのはナンセンスではないか。というのも、海兵隊部隊の輸送艦はすべて佐世保にある以上、実は、海兵隊基地が沖縄に設置されねばならない軍事的理由はないからだ。米国が海兵隊のグアム移転に同意していることこそその証しだ。海兵隊の抑止力というレトリックを持ち出すのは、米国ではなく、実は沖縄への基地集中という現状を正当化したい日本政府や本土側なのである(屋良朝博氏)。

沖縄問題は本土による差別問題
 ここに象徴されるように、沖縄問題は、日米問題である前に日本の国内問題であり、しかもこれは、結局のところ本土による沖縄差別という問題と言い得るのではないか。普天間基地移設問題を通して沖縄の人々が、本土の人々に訴えているのも、まさにこのことではないか。いまや沖縄の多くの人々が沖縄差別を口にする。一六〇九年の薩摩藩の琉球侵略とその後の支配、明治国家による琉球処分と同化政策、沖縄を捨て石とした沖縄戦、戦後の米軍統治、そして今日の米軍基地の過度の集中……。沖縄の生活・経済・文化のすべては、米軍基地の存在によって大きく制約されている。ではなぜこれほど集中したのか。一言で言えば、一九五〇年代の反基地闘争によって、米軍の地上軍を本土から追い出したからだ。
 昨今の沖縄ブームによって、沖縄差別も、一見、過去のものに見える。だが、差別は往々にして無自覚になされる。しかもこれは、薩摩藩による侵攻や琉球処分にまで遡る構造的な差別なのではないか。鳩山前首相の公約で、この問題に対する本土のメディアや世論の関心が高まったかに見えたが、それも今日、忘れ去られようとしている。こうして沖縄差別は続いている。この現状に抗して沖縄問題の本質を問うべく、本書(『「沖縄問題」とは何か』)を企画した。

(編集部)