2011年01月01日

『機』2011年1月号:北朝鮮による「韓国」延坪島砲撃事件の真相 朴 一

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砲撃の背景
 昨年(二〇一〇年)一一月の北朝鮮軍が韓国の延坪島を砲撃した事件は、朝鮮半島研究者にも衝撃を与えた。北朝鮮という国は過去にさまざまな軍事挑発やテロ行為を行ってきたが、韓国側の領土を攻撃し民間人を巻き込む戦闘を仕掛けたのは、朝鮮戦争休戦以来、今回が初めてのケースであるからだ。韓国軍の応戦次第では、第二次朝鮮戦争に発展する可能性もあった。北朝鮮は何故、「一線を越えた」軍事行動に踏み切ったのだろうか。
 南北衝突の前兆はあった。そもそも朝鮮半島の西側、黄海に引かれた軍事境界線であるNLL(北方限界線)周辺は、これまで何度も南北が衝突する危険地域となってきた。背景には、NLLに対する南北の認識の違いがある。一九五三年の朝鮮戦争休戦後、国連軍は北朝鮮と韓国側の海域を区分する「海の南北境界線」としてNLLを引いたが、北朝鮮側は「陸の軍事境界線に比べ北朝鮮側に食い込んで設定されている」としてNLLの無効を主張してきた。そして一九九九年九月、北朝鮮はNLLに対抗して独自の境界線を発表し、今回の砲撃事件の舞台となった延坪島周辺の海域を北側のラインの内側に入れた。
 こうした南北双方の「海の軍事境界線」に対する認識の違いから、延坪島を含む黄海海域では、たびたび南北の軍事衝突が起こっている。二〇〇九年一一月には、北朝鮮の警備艇がNLLを越えて南侵し韓国軍と交戦状態になり、昨年(二〇一〇年)三月には、北朝鮮の潜水艦が韓国の哨戒船を魚雷で撃沈し、韓国兵四六名が犠牲になった(韓国側調査)。こうした経緯を見ると、NLL周辺でいつ南北の軍事衝突が起こってもおかしくない状況にあった。

北朝鮮の内部事情
 以上は南北衝突が起こった背景と考えられるが、今回の砲撃事件には北朝鮮の複雑な内部事情が影を落としている。これまで北の政権内部では労働党内の「改革派」と軍部を中心とする「守旧派」が国家の運営をめぐって激しい権力闘争を演じてきた。「改革派」は、中国や韓国から援助や支援を受け入れ、中国のような市場経済化を進めることで、国の立て直しを模索する勢力である。
 一方、「守旧派」は市場経済化が金正日を頂点とする権威主義体制の崩壊につながることを恐れ、社会主義計画経済に基づく徹底した統制経済の堅持を重視し、軍事力の強化こそが体制存続に繋がると考えてきた。つい最近まで、この両者は対立しながらも、金正日総書記という司令塔の下で、お互いの政策を利用しながら有機的に展開することができた。例えば、守旧派を牽引する軍部が核実験を行うと、改革派が核開発の停止を条件に諸外国から援助を引き出すというやり方である。
 しかし、健康面に不安をかかえる金総書記の指導力が低下するにつれて、軍部を中心とする「守旧派」の暴走が目立つようになった。今回の北朝鮮軍による韓国砲撃が韓国から北朝鮮への食糧支援を決定する南北赤十字会談の直前に実施されたことは、こうした両勢力の均衡が崩れたことを示している。北朝鮮軍は砲撃行為を「わが海域に砲射撃を加える無謀な軍事的挑発に対する軍事的措置」(朝鮮中央通信、二〇一〇年一一月二三日)と説明しているが、軍部強硬派の目的はそれだけではないだろう。

圧力だけでは何も解決しない
 彼らがこの時期を狙って砲撃した背景には、六者協議に復帰することを条件に、軍事挑発を続ける韓国の李明博政権から支援を受け入れようとする改革派への反発があったと考えられる。もし軍部が改革派の取り組みに理解を示していたなら、韓国から支援を受け取った後に、軍事的措置をとるという選択肢も考えられたからである。
 事件後、マスコミでは強硬発言がめだつ。しかし、北朝鮮軍部の暴走を食い止めるには、彼らの挑発に乗らない方がよい。北の砲撃を受け、六者協議首席代表会議を呼び掛けた中国の提案を日米韓三カ国は「今はその時期ではない」と拒否しているが、これでは北朝鮮軍部の思う壺である。「北朝鮮の非核化措置がない限り、協議再開は難しい」としてきた日米韓の硬直的な対北政策が、結果的に北朝鮮に核開発の時間を与えてきたというジレンマ。このジレンマから抜け出すためには、それぞれの国が「圧力だけでは何も解決しない」という基本合意から始まった六者協議の原点にたち戻ることが必要ではないだろうか。

(パク・イル/大阪市立大学教授)