2010年11月01日

『機』2010年11月号:後藤新平の体系知 佐藤 優

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帝国主義外交の文法に通暁
 帝国主義のゲームのルールは、「食うか食われるか」である。資本主義システムへの転換が後発であったアジア諸国のほとんどが、欧米帝国主義国に食われ、植民地になってしまった。そのような状況で、日本はアジアで唯一の帝国主義国となった。
 後藤新平は、「食うか食われるか」という帝国主義のゲームのルールを、外交の論理にかみ合わせる才能をもっていた。世界には、国際秩序形成のもっぱら主体としての機能を果たす帝国主義国と、それら帝国主義国が作ったゲームのルールに従わざるを得ない中小国、さらに国家を失ってしまう植民地に分かれる。
 中小国である日本が植民地に転落せず、生き残るためには帝国主義への道をたどる必要があるということは、明治期の日本の政治エリートの共通認識であった。その担保として、軍事力増強が不可欠であるということについても政治エリートの間で共有されていたが、同時に帝国主義外交の文法に通暁する必要があると考えた人は少なかった。私が見るところ、後藤新平は帝国主義外交の文法を体得していた数少ない政治エリートなのである。ここに後藤の世界認識の特徴がある。
 帝国主義外交の文法の骨子は以下の通りだ。まず、相手国の立場など配慮せず、自国の利益を一方的に主張する。その結果、相手国がこちらの要求を飲み、国際社会も沈黙しているならば、その機会を逃さずに権益を獲得する。相手国が反発し、国際社会もこちらに対して批判的になり、このまま主張を続けると結果として自国が損をすることが明白な場合、妥協し、国際協調に転じる。要は帝国主義列強の動きを詳細に分析し、自国の利益の極大化を図ることだ。言い換えるならば、国際関係を関数態としてとらえる視座が必要なのである。後藤はこの視座を持っていた。例えば、日清戦争の結果に対する以下の評価だ。

第一次世界大戦の構図を見通す
 帝国は日清戦争によって強名を世界に売り得たと同時に、列国は清国から諸所の租借、解放、鉄道、鉱山ないし勢力圏なるものを買い得たのである。その結果北清団匪の事変[義和団事件]が起き、日本はまた一場の勇名を売り得て、列国は幾多の利権と債権とを買い得たのである。/日本の売り得た強名は、もとより国家的重宝であることには変わりない。しかしながらそれは展形変形して列国の対清政策となり、東洋に還元されてわが外交の圧迫となるのを見ると、その経済的特質がどうかはいまだ容易に算定しがたいものがある。見よ、日露戦争は何のために起こったのか。当初清国が与しやすいことを列強の前に暴露して、露国が満洲侵略策を誘致した動因は、誰が提供したものであったか。/日本は自業自得の結果として、やむをえず、あえて再び勇名を日露戦争に売ったのである。しかしながら、その結果がさらにどのような変化をとって反動してくるのかはまだ分からない。(「対清政策に於ける日露日仏協商の価値」)

 後藤は、日清戦争、日露戦争における日本の勝利に浮かれずに、その結果生じた権力バランスの変化に帝国主義国がどのようにつけ込んでくるかを冷静に分析している。そして、急速に経済力と軍事力をつけているドイツが、国際社会の攪乱要因となり、日本の国益を毀損する可能性が高いと考えた。そこで日英同盟を基軸に、そこに日露協商、日仏協商を加えることで、ドイツが日本のもつ中国の権益を侵害することができない体制を構築しようと試みた。日露戦争終結後二年しか経たない時点で、既に後藤にはドイツに対して、イギリス・フランス・ロシアが対峙する第一次世界大戦の構図が見えていたのだ。その上で、「勝ち組」になるであろう英仏露側との同盟戦略を提示している。優れた洞察力だ。


(構成・編集部)
(さとう・まさる/作家・元外務省主任分析官)