2010年11月01日

『機』2010年11月号:日本における劉暁波問題の空白 子安宣邦

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劉暁波とは何者か
 一〇月九日、日本の各新聞はそれぞれ一面に大きく劉暁波のノーベル平和賞受賞のニュースを報じた。各新聞社の中国問題の担当記者たちは中国における劉暁波をめぐる政治的迫害の事態をそれなりに把握していたし、彼に対する平和賞授賞の可能性をも推定していた。だから九日の朝の新聞紙一面を飾る大きな記事の作成に困ることはなかったはずである。そして劉暁波を、授賞理由にしたがって、「一党独裁の人権抑圧的な政権下で民主化と自由とを不屈に要求し続ける活動家」として記述すれば、受賞報道としてはこと足りたかもしれない。
 だがもう一歩つっこんで記者たちが、劉暁波とは「08憲章」の起草にかかわったこと以上に何をいい、何をした人間なのか、何ゆえに中国当局は彼を恐れ、彼を長く拘留し、彼の口を封じ続ける必要があるのかと問いながら劉暁波関係の記事を構成しようとしたら、劉暁波の『天安門事件から「08憲章」へ』(劉燕子編・藤原書店刊、二〇〇九年)なくしては不可能であったであろう。今回の劉暁波のノーベル平和賞受賞をめぐる報道をその内容面から支えたのはこの書であったといっていい。この書なくしては今回の受賞の現代史的な意味も明らかにされなかったであろう。


批判的意志を共有する知識人の不在
 このことはこの書の出版がもった先駆性、現代的重要性を告げるものであるが、他面、劉暁波とは何かを考えるのにこの書しかないという事態は、現代日本における劉暁波をめぐる問題の空白をも告げている。一〇月八日の午後六時の劉暁波へのノーベル平和賞授賞発表直後から、『天安門事件から「08憲章」へ』に序文を書いた私は、各報道機関からのひっきりなしの問い合わせに面食らった。この書を編集し、劉暁波を直接知る劉燕子さんや及川淳子さんは私以上に大変であった。
 だがこのお二人とちがって私は劉暁波を直接知るものではないし、中国問題の専門家でもない。私はただ劉暁波が拘留され続けていることの不当への日本からの一人の発言者であり、彼の中国民主化への不屈の意志を日本から支えようとするものであるにすぎない。その私が劉暁波の受賞報道に当たって、彼をめぐる解説的情報の提供を求めて追いまくられたということは、やはり劉暁波をめぐる問題の日本における空白を思わざるをえない。
 劉暁波の問題は日本において自分たちの問題になっていないのではないか。あらためて考えてみれば、劉暁波の発言と行動とは現代中国において、「文革」下の中国においてことに抹殺し続けられた知識人の存立意義をかけたものである。彼は奴隷になることも、亡命することをも拒否したのである。それがなお獄中に在り続ける劉暁波である。日本における劉暁波問題の空白とは、彼のこの抵抗する意志を共有しようとする批判的知識人の日本における不在をいうのかもしれない。劉暁波の今回の受賞は、現代日本における批判的知性の溶解という悲しい事態を知らせることにもなったのである。

(こやす・のぶくに/日本思想史)