2010年07月01日

『機』2010年7月号:文豪ゾラの美術論 三浦 篤

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論戦的な性格が強いゾラの美術評論

 十九世紀フランスの美術批評家は、ゴーティエ、ボードレール、ゴンクール兄弟、マラルメ、ユイスマンスなど文学者で美術批評に手を染めるタイプと、トレ=ビュルガー、ビュルティ、シェノー、カスタニャリ、デュレなど専門的に美術批評を行うタイプと、大きく二つに分類することができるが、ゾラは当然前者のタイプに属する。そして、ゾラが執筆した美術批評は美学的、学究的なものではなく、新聞雑誌に発表した時事的な評論にほかならない。これは展覧会評が多いので当然とも言えるが、いわゆるジャーナリスティックな文章であり、しかもゾラの場合、その文体からしても選び取った立場からしても、論戦的な性格がかなり強いのが特徴である。
 カバネルやジェロームやメソニエなど、権威あるアカデミズム系の画家、サロンで人気を博す画家たちに対して、皮肉で辛口の厳しい評言をぶつけるのは、相当の信念と勇気を必要としたであろうが、同時に自らの文章を差異化し、目立たせもしたであろう。スキャンダルを起こしていたマネの擁護を決意した動機に関しても、共感する新しい才能が正当に認められないことへの怒りだけではあるまい。話題性のある批評で自らも世に売り出そうという思惑もあっただろうし、レアリスムから自然主義へという文脈のなかで画家との共闘を企てる戦略的な態度を見て取ることもできる。マネの方でも《エミール・ゾラの肖像》を制作して一八六八年のサロンに出品し、自分の弁護を買って出た美術批評家に対する感謝のしるし、二人の友情と闘いの記念とした。

初めてマネを擁護したゾラ

 歴史的に見ると、ゾラの美術批評はボードレールを継承する前衛的な美術批評の系譜上にある。ボードレールはロマン主義からレアリスムの時代にドラクロワに賛辞を捧げながらクールベとも共闘し、晩年はマネに理解を示したが、ゾラはレアリスムから印象派の時代にかけて、マネをいち早く熱烈に援護し、モネ、ピサロなど印象派の画家たちを支持した。
 《オランピア》によって非難の嵐に囲まれていたマネを一貫した価値基準をもって弁護したのは、まさしく一八六六年のゾラが初めてである。渦中の人マネに関与したため、若き美術批評家の鮮烈な登場ぶりは際立っていたが、それゆえ反発も強く、ゾラの言う「良き闘い」に直面するのは必然であった。美学的な主張という点から言えば、同時代の現実への関心という意味で前世代のレアリスムを継承しつつも、芸術家の気質、個性が刻印された独創的な表現を求める姿勢に揺るぎはなかった。実証主義的な科学の時代にあって現実を描くことが画家の使命であるのは、ゾラにとって自明の前提であった。
 とはいえ、「芸術作品はある気質を通して見られた被造物の一隅である」という有名な定式が示すように、芸術家の主観性、創造性というベクトルもまた不可欠の条件であり、だからこそ主題よりも色斑を重視して画面を構成していくマネの斬新な造形表現について言語化し評価できた、あるいはマネの対極に位置するモローの作品にすら一定の理解を示すことができたのである。 (構成・編集部)

(みうら・あつし/東京大学教授)