2010年07月01日

『機』2010年7月号:有力な免疫学者にして能作者(『NYタイムズ』紙)

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多田博士の免疫理論
 (前略)多田博士は一九七〇年代、免疫システムを選択的に無力化する能力をもつ特別な白血球細胞の存在を指し示した一連の研究により、注目を浴びるようになった。
 氏の理論によれば、この細胞が適切に機能すれば、免疫システムがその身体自身の器官に対して、あるいは花粉のような無害な物質に対して攻撃を加えることを防げるという。機能不全の場合には、アレルギーや自己免疫疾患をもたらす、と多田博士は考えた。
 氏の発見によって、世界のトップクラスの免疫学者たちは、このサプレッサーT細胞と命名された細胞を発見しようと躍起になった。一九八〇年代初頭になると、これを発見しようという努力は失敗に終わり、大勢としてはこの概念は存在が疑われるようになった。
 多田博士は、いずれサプレッサーT細胞が発見されると考える少数派の中心人物となった。一九八八年、ある免疫学の雑誌への書簡で、多田博士は批判者に対して次のようなイタリアのことわざで応じている――「Chi vivrà, vedrà(生きているうちにわかってくるさ)」。
 およそ一〇年が過ぎて、別の日本人科学者である京都大学の坂口志文博士が、制御性T細胞を同定したことにより、免疫抑制についての多田博士の基本的な考え方はおおむね実証された。制御性T細胞は、多田博士がサプレッサーT細胞に関して予言していたいくつかの特性を欠いていたが、それでも同じように機能する。
 「誰でも制御性T細胞はサプレッサーT細胞だと認めています。名前は変わりましたがね」と述べるのは、科学者でラホイヤアレルギー免疫研究所所長のミッチェル・クローネンバーグ氏だ。「多田博士は、免疫抑制という概念を前に推し進める先駆的な仕事をしましたが、この概念は免疫学において根本的で正確な概念です」

私にとっては全て同じこと
 科学者としてのキャリアが締めくくりに向うなかで、学生時代に文学を学んでいた多田博士は、能の台本の執筆に取り組み始めた。能とは、面を付けた登場人物によって演じられる、霊的世界と現実世界の要素の混じり合った演劇ジャンルだが、日本においても新作能は数少なく、多くの作品は四〇〇年前に書かれたものである。
 彼の第一作である「無明の井」は、心臓移植という主題をとりあげ、生と死とのあいだの曖昧さを探究した。この作品では、ドナーとして心臓を提供した猟師の霊と、受け取った若い女の霊とが、生命の井戸をめぐって夜な夜な争い合う。
 大嵐に遭って昏睡に陥り心臓を摘出された猟師は、生者と死者の中間世界におちいってしまうが、女の方は罪の意識に苛まれている。この作品は、一九六八年に日本で起きた、脳死の少年から心臓を摘出した移植専門医が殺人罪に問われた事件に着想を得たものだが、日本において予想外の成功を収めた。
 芸術の領域にも活動を拡げたことに関して、多田博士は、劇作も研究もともに哲学的探究であり自己表現であると述べた。
 「私にとっては全て同じことなのです」と、一九九六年の『サンフランシスコ・クロニクル』のインタビューで述べている。「免疫学の研究をしているときも、劇を演じているようなものです。違いはありません。科学論文を書いているときは、私は自分の哲学を表現するかのように書いています」。
 二〇〇一年に脳梗塞に見舞われ、半身麻痺と構音障害がのこったが、彼は片手でキーボードを打ちながら、執筆を続けた。 (後略)

(DENISE GELLENE)
*全文は『環』42号に掲載