2010年04月01日

『機』2010年4月号:「赤十字」とは何か 小池政行

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ソルフェリーノの戦いから
 スイス人アンリ・デュナンが、一八五九年、イタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノで傷ついた兵士が打ち捨てられている悲惨な姿を目の前にして、平時から敵味方の差別なく、武器を使えなくなった傷病兵の救護を行う団体を各国に創設することを訴えたのが、「赤十字」思想の発祥である。敵味方の差別なく傷ついた兵士を救うこと――この行動を支える理念が、「人道」である。
 「人道」の理念は、現在の国際社会において、「戦闘行為のあり方を規制する」ルール、すなわち「戦闘行為を規制」するものと、対人地雷禁止条約、クラスター爆弾禁止条約など無差別な殺傷を引き起こす非人道的兵器を規制するもの、すなわち「戦闘兵器を規制」するものと、大きく二つのグループに分けることができる。これら二つのグループに属する多くの国際条約により、「人道」の概念及び「非人道的戦闘行為及び非人道的戦闘兵器」が具体的に明文化されている。

「人道」と「人権」
 一方で、「人道」はしばしば「人権」と混同されて使われている。しかし、「人権」と「人道」には、次のような大きな相違がある。
 各国の憲法において、「基本的人権」とされる、例えば「生命・私有財産の保護」「苦役からの自由」等が守られるべきものとして規定される。しかし、国家が戦争・武力行使を国家意思の最終的貫徹手段として選択し、戦争状態になった場合、例えば我が国の「有事関連法制」にも明記されているように、自衛隊の防衛行動に必要と判断されれば、抵抗拠点としての陣地構築が私有地においても行われ、医師、看護師、その他医療従事者や報道機関等の「指定協力団体」には武力侵攻事態に対処するための協力が、個人の意思がどうあれ義務づけられる。つまり、平時において厳守される「人権」の制限が、有事には行われる。
 「人権」はときに制限されるが、一方で「人道」は、平時においては意識されないが、暴力と暴力の衝突、国家の軍事力の行使、ないしは内乱・内戦においてさえも、一国のみでなく、すべての国々に対して、人間性の根源を成すものとして、その遵守が求められる。「人権」と「人道」との決定的相違はここにある。


「赤十字」の誕生
 そしてこの「人道」を理念として活動するのが、「赤十字」ということになる。
 創設者であるデュナンの考えは中立を周辺各国との条約で保障されたスイス人らしく、「人道救護団体は敵味方の差別なく中立・公平の立場で救護にあたるべき」というものである。
 さらに、デュナンの考えの重要な点は、このような団体組織はいかなる国家とも無関係に、国家から独立した「ボランティア団体」からなるべきであると考えたことにもある。
 そしてスイスの国際都市、ジュネーブの名士たち五人からなる「五人委員会」が一八六三年に創設されたのである。この委員会が後の赤十字国際委員会(ICRC)の中核となった。赤十字の誕生である。
 一八六四年八月に、スイス政府の主催のもとに、アメリカを含む一六ヵ国の代表がジュネーブに会合した。その際、このような戦場における救護に従事する者は白い腕章を巻いてはどうかと提案された。さらに別の者が、その白い腕章に赤い十字を入れようと提案した。ここに、恐らく世界中で最もよく知られている「人道擁護の標章」――赤十字が創出されたのである。


(こいけ・まさゆき/日本赤十字看護大学教授)