2010年04月01日

『機』2010年4月号:列島人の愚行、錯誤そして自殺 西部邁

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国家喪失への方途
 五十周年を迎えることになった日米安保条約の「改定」は、その本旨において、日米両国の軍事的協力関係に「双務性」をもたらそうとするものであった。日本がアメリカの極東戦略に(軍事基地の提供を中心にして)協力するということだけでなく、アメリカのほうも、日本が「極東」において軍事的危機に直面した場合には、相応の協力をしなければならないということである。(略)
 しかし、この「双務性」が実質を持つためには、つまり日米関係がイークォル・パートナーシップ(対等提携)に近づいていくためには、両者の軍事における「実力」に過大な格差があってはならない。それが過大に及ぶとなると、アメリカに日本を「守らせる」のではなく、日本がアメリカに「守ってもらう」という仕儀になる。(略)
 それから五十年間、(略)安保闘争という政治的騒擾に懲りた日本国家の指導層は、「経済への過剰適応」によって国家としての自主独立を獲得しようともくろむこととなった。またそれは、吉田茂に始まる「戦後的」路線への回帰であったし、安保闘争の終焉と同時に音立てて進行した高度経済成長という形での、戦後日本人による自発的な選択の結果でもあった。
 経済は物事の「形式化と数量化」を旨とするという意味で「合理的」な活動である。そして、純粋に合理的な精神にあっては、国民性は不要となる。つまり、「ネーション・ステート」(「国民とその政府」としての「国家」)の「歴史の流れ」、それの作り出す「慣習の体系」、そこに内包されている「伝統の精神」(国家の危機にたいする国民精神の平衡術)がとことん過小評価される。「経済への過剰適応」は最も確実な「国家喪失の方途」だということである。
 そして国家喪失に最もよく適合する政治的観念が「リベラル・デモクラティズム」(自由民主「主義」)である。(略)したがって、「経済への過剰適応」は、日本列島人の個人としての自主独立には貢献することがありうるとしても、国家の自主独立については、むしろそれを融解させるものでしかない。


左翼化の一筋道
 昭和期の自民党は、戦前・戦中の指導層が歴史のイナーシャ(慣性)を引きずっていたおかげで、国家としての自主独立の最低線はかろうじて守りえていた。しかし、平成期ともなると、いわゆる世代交代のせいで、自民党においてであれ民主党においてであれ、歴史の醸成物たる国家が、自主独立の最後の一片をも失うほどに、破壊されるままとなった。この過程を総称して「構造改革」という。
 「自由と民主」(平等)のあいだには大きな矛盾がある。端的にいうと、デモクラシー(民衆政治)における「多数決」という形での社会の秩序化が、少数派の自由を抑圧するわけだ。この矛盾を糊塗しようとして「友愛」の偽善が近代という時代の玄関に、「自由と平等」に並んで掲げられたことは周知のところである。そして、「自由・平等・友愛」という理想のトリアーデ(三幅対)に奉じて、「秩序・格差・競合」という現実のトリアーデを忘却する者たちをレフト(左翼)とよぶ。ついでにいっておくと、この現実のトリアーデに執着するのがライト(右翼)であり、理想と現実を平衡させて「活力・公正・節度」に生きるのがコンサヴァティヴ(保守)である。
 我が国の戦後は左翼化の一筋道でしかない。思えば、「冷戦構造」そのものが個人主義派の左翼たるアメリカと集団主義派の左翼たるソ連との確執にほかならなかった。(略)冷戦構造が崩壊したあと、「伝統の保守」がこの状況にあって具体的に何たるべきかを問わなければならなかったのに、安保闘争の重い脳震盪を病みつづけている我が列島人は、自由民主主義のほころびを社会民主主義で繕うべく躍起である。この修繕案が日本国憲法に偉大な社会正義として謳われてもいる。これは列島人たちには集団自殺の未来しか待っていないと予告して、よもや間違うはずがない。(構成・編集部)



(にしべ・すすむ/評論家・経済学者)