2008年02月01日

『機』2008年2月号:日本語と日本思想―― 本居宣長・西田幾多郎・三上章・柄谷行人―― 浅利 誠

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●「日本思想の独自性」とされたものの正体を明かす画期的な「日本語=日本思想」論!

柄谷行人「文字論」との出会い
 この度、日本語と思想、言葉と思想の関係を問う『日本語と日本思想――本居宣長・西田幾多郎・三上章・柄谷行人』を上梓することになった。本書は、藤原書店の季刊雑誌『環』に「日本語で思考するということ」というタイトルで8回にわたって連載されたものからなっている。『環』の第4号(2001年冬号)の「日本語論」特集号に「西田幾多郎と日本語――〈場所の論理〉と助詞」を寄稿したという経緯もあり、日本の思想家と日本語の問題をもう少し念を入れて書いてみたいという思いが私にはあった。
 しかし、この論文を書くきっかけとなったのは、柄谷行人『〈戦前〉の思考』の中の「文字論」との出会いであった。西田と日本語、宣長と日本語というテーマに日本語の文字の問題から迫って行く柄谷の省察は新鮮かつ衝撃的であった。にもかかわらず、私は、柄谷とは逆に、徹底的に文法にこだわる方向に向かった。柄谷の問題提起との生産的対話を実現するためには、彼がほとんど踏み込んでいない構文論(文法)の側から彼の問題提起を受け止める必要があると考えたからである。そして、私の選択は間違ってはいなかったと思っている。

本居・西田・三上・柄谷
 私は、あくまでも日本語をフランス人学生に教えるという環境の中で日本語に向き合ってきた人間である。私は、一年生の仏文和訳の授業において、長年、相互に深く関連している二つの大きな問題を抱えていた。それは、助詞の中で占める格助詞というカテゴリーの弁別特徴をどのようにとらえるかという問題、それと、三上章が「主語」を排して「主題」という用語で語るべきだとしている「ハ」の問題であった。この問題を考えている過程で私は西田幾多郎の「場所」というテクストに強い関心をかきたてられた。ほどなくして柄谷行人の「文字論」に出会うことになったのである。私はここから時枝誠記の口語文法論、本居宣長の「詞の玉緒」、鈴木朖の「言語四種論」、中村雄二郎の『西田幾多郎』などを読むことになったのである。
 改めて思い返してみても、やはり柄谷行人の「文字論」との出会いが決定的だったのだと思う。すでに三上章の文法論には馴染んでいたが、柄谷の文字についての論考を読んだのをきっかけにして、私の中で、三上章の言う「ハ」の「ピリオド越え」と本居宣長の係り結び研究における「は、も、徒」による係り=結びが相互につながって見えだしたのである。私には、まず、三上と宣長の著しい類縁性の確認がやってきた。その後に、時枝における包摂のテーマと、西田の場所論における包摂のテーマの間にある類似性と差異性について考えることになったのである。この二つがある程度自分の頭の中でつながるようになってから、ようやくにして、私は宣長の「詞と辞」の語学説を時枝の「詞と辞」の言語論と重ねて考えるという方向に向かったのである。
 最終章において柄谷の「文字論」について少しだけ言及したが、この文字についての論考の中で提起されている問題の射程は遠大なものであり、文法論の側からそれに見合うだけの論考を展開することは今の私にはできなかった。最小限の確認だけはなし得たと思うが、今はそれでよしとすることにする。また、確認すべきことはまだたくさん残されてもいるのである。朝鮮語と日本語の比較による確認事項を筆頭に。
 「日本語と日本思想」をテーマにすることには大きな勇気が要求された。未踏の地に踏み込んでいく蛮勇が要求された。私の手引きになってくれたものもまた不如意をものともせずに未踏の地に踏み込んでいった孤独な戦士である三上章と柄谷行人の二人だったのである。

(あさり・まこと/フランス国立東洋言語文化大学日本学部助教授)