2007年10月01日

『機』2007年10月号:心が透明でストレートな方 佐佐木幸綱

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 鶴見さんとは短歌のご縁でお会いし、おつきあいをいただきました。『「われ」の発見』という鶴見さんとの対談を出させていただいたこともありました。鶴見さんは15歳で短歌をはじめられ、70代で脳出血で倒れられてから、ふたたび短歌を作りはじめられました。
 晩年はもうあふれるように短歌ができたらしい。『花道』『回生』、そしてこれから刊行される『山姥』、80代で三冊もの歌集を作られました。こんな例は非常にめずらしい。私が知っているかぎりでは、窪田空穂が80代で三歌集を刊行しています。空穂は90代でなお1冊ありますから、鶴見さんは空穂には負けましたが、歴代第2位の記録を作られたのだと思います。
 鶴見さんはとにかく心がきれいで、透明で、ストレートな方でした。たぶん短歌という詩がぴったりとあった方だったのです。小説とか俳句とかは透明すぎ、ストレートすぎる心ではうまくいかない。屈折、濁り、複雑な絡みあいが好きな人でないとうまくいかない。短歌は違います。屈折、濁り、複雑な絡みあいが好きな人も、それなりに歌のゆき方がありますが、透明でストレートな人にもそれなりのゆき方があります。
 鶴見さんの歌の透明さ、ストレートさは群を抜いていました。鶴見さんの最後の短歌作品が『心の花』(2006年11月号)に掲載されました。そのうちの2首を紹介します。短歌定型をあふれて、自在に心が遊んでいます。ストレートに心とことばが飛翔しています。


  一本の手を欠き
   一本の手をもて歌書き文を書き
    りんごすりおろし一本の手はわが宝


  ここで死ぬのか自室に帰って死ぬか
    主治医にさえも私にさえもわからない
       めざむれば人の声するまだ生きており


 鶴見さん、たくさんのいい歌を読ませていただき、ありがとうございました。

(ささき・ゆきつな)(「鶴見和子さんを偲ぶ会」へのメッセージ)