2007年09月01日

『機』2007年9月号:マルクスの亡霊たち ジャック・デリダ

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●いかにわれわれはマルクスの遺産を相続しうるのか? 待望の完訳!

『マルクスの亡霊たち』
 『マルクスの亡霊たち』というタイトルを提案する際に、わたしは当初、今日の言説を支配する当のものを組織すると思われる強迫観念=憑在のありとあらゆる形式を念頭に置いていた。一つの新世界無秩序が新資本主義と新自由主義とを定着させようとしている昨今であるが、いかなる否認も、マルクスのありとあらゆる幽霊を厄介払いすることができないのである。ヘゲモニーなるものはつねに鎮圧を組織し、それゆえにある強迫観念=憑在の確認を組織する。強迫観念=憑在は、いかなるヘゲモニー構造にも属しているのである。しかし当初、わたしの頭に『共産党宣言』の導入部があったわけではない。そこにおいてマルクス―エンゲルスは、見かけのうえでは違う意味をこめて、早くも1847―1848年に、亡霊について、より正確には「共産主義の亡霊(das Gespenst des Kommunismus)」について語っていた。それは、古きヨーロッパのすべての強国(alle M€臘hte des alten Europa)にとって恐るべき亡霊ではあったが、しかし当時まだ来たるべき共産主義の亡霊であった。たしかに、すでに(《正義者同盟》あるいは《共産主義者同盟》のはるか以前から)名指しうるものではあったが、その名前を超えて来たるべきものであった共産主義の亡霊。すでに約束されてはいたが、まだ約束のみにとどまっていた共産主義。それゆえになおさら恐るべき亡霊だ、と一部の者は言うかもしれない。然り。ただし、亡霊の未―来と再来とを区別できるという条件のもとで、である。忘れてはならないことは、1848年ごろ、第1回インターナショナルはほとんど秘密裡におこなわれなければならなかったということだ。亡霊はそこにいた。(ところで、亡霊の〈現存在=そこにいる〉とはどういうことなのか。亡霊の現前の様態とは何なのか。これは、われわれがここで提起しようとしている唯一の問いである。)ところで、亡霊は共産主義の亡霊(das Gespenst des Kommunismus)であったわけだが、その当の共産主義の方はというと、定義からしてそこにはいなかったのである。それは、来たるべき共産主義として恐れられていた。それは、かなり前から共産主義という名のもとにみずからを予告してはいたが、まだそこにはいなかった。だから、古きヨーロッパのあの同盟者たちは、自分たちを安心させるために、そんなものは亡霊にすぎないではないか、と言っているようであった。それが未来において、現実性を持った、現実に現前した、顕在化した、秘密の殻を脱した現実にならなければよいが、と。古きヨーロッパに課せられていた問いは、すでに未来の問いであり、「まだマルクス主義はどこへ行くのか?〔whither marxism?〕」の問いではないにしても、「どこへ?〔whither?〕」の問い、「共産主義はどこへ行くのか?〔whither communism?〕」の問いであった。そこで問題になっていたのが〈共産主義の未来〉であれ〈未来の共産主義〉であれ、この不安に満ちた問いは単に、未来において共産主義がいかなる形でヨーロッパの歴史に作用するかという問いではなく、より暗々裡にではあったが、早くも、ヨーロッパには端的に未来および歴史がまだありうるのかという問いでもあったのである。一八四八年には、絶対知による歴史の終焉というヘーゲルの言説はすでにヨーロッパに響きわたっており、それは他のあまたの弔鐘と共鳴していた。そして共産主義は、そのインターナショナルな性格ゆえに、本質的に他の労働運動とは区別されるものであった。人類史上で組織された政治運動において、いかなる運動もそれまでは地球―政治学的なものとしてみずからを呈示してはいなかったし、そうした呈示によって、今日われわれのものとなっている空間を、今日その極限に、すなわち地球の極限と〈政治的なもの〉の極限とに到達している空間を創設することはなかったのである。
 これらの諸力あるいはこれらのあらゆる権力(alle Machte)の代表者たち、すなわち諸国家の代表者たちは保証をもとめた。彼らは確信をもちたかった。ということは、確信をもっていたことになる。なぜなら、「確信をもつ」と「確信をもちたがる」とのあいだに差異は存在しないからだ。したがって彼らは、亡霊と実際に現前する現実とのあいだ、精神と Wirklichkeit〔現実性〕とのあいだには、境界線が保証されていると絶対に確信していた。それは、保証されていたはずである。それは、保証されているべきであろう。いや、保証されているべきであった、というふうに。この確実性の確信を、彼らはそもそもマルクスその人と共有していたのである。

1世紀半近くたった今日
 1世紀半近くたった今日、当時と同じく共産主義の亡霊に不安を感じているように見える数多くの人々が世界中にいる。まったく同じように、それが生身をもたぬ、現前する実在性も、現実性も、アクチュアリティももたぬ亡霊でしかないと思い、しかし今度はいわば過去の亡霊だと思いこんでいる人々がいる。今日いたるところで、あれは亡霊でしかなかったのだ、幻想、ファンタズムもしくは幽霊でしかなかったのだ、という声が聞こえる(€ォHoratio saies,€・€$Ctis but our Fantaisie€・And will not let beleefe take hold of him€サ〔ホレイショーは、われわれの錯覚にすぎないといって、まったく信じようとしない〕)。いまだに不安をぬぐいきれぬ安堵のため息。未来において、それが再来せぬようにしようではないか!というわけだ。結局のところ、亡霊とは未来なのであり、つねに来たるべきものであり、来るかもしれぬものあるいは再―来するかもしれぬもの、そのようなものとしてしかみずからを現前させることはない。前世紀の古きヨーロッパの強国たちは、未来において、それが受肉するようなことがあってはならないと言っていた。公共の場でも、秘密裡にであってもそんなことがあってはならない、と。今日ではいたるところで、未来に、それが再び受肉するようなことがあってはならないという声が聞こえる。それは過ぎ去った=死んだ〔pass€驕lのだから、再―来を許してはならない、というわけである。
 前世紀と今世紀のあいだで、正確にはどのような差異があるのだろうか。それは、過去の世界――そこでは亡霊が来たるべき脅威を体現していた――と現在の世界とのあいだの差異なのだろうか。過去の世界と、一部の者たちが過ぎ去ったものだと思いたがっていながら、それでもなお、亡霊が体現しているという脅威の回帰をあいかわらず、未来でもあいかわらず、祓い続けなければならないという、今日とのあいだの差異なのだろうか。
 なぜ、双方の場合とも、亡霊は脅威として捉えられているのか。亡霊の時間と歴史とは何なのか。亡霊の現在=現前〔pr€駸ent〕なるものは存在するのか。亡霊は、その行き来を、〈過去における現在〉と〈現在の現在〉と〈未来における現在〉のあいだ、「実際の時間」と「遅延された時間」とのあいだといったように、〈前〉と〈後〉といった線的な継起にしたがって秩序づけているのか。

かりに亡霊性といったものが
 かりに亡霊性といったものがあるのならば、もろもろの現在によって構成され、安心をもたらすこうした秩序を疑い、そして一方ではとりわけ現在、すなわち現在のアクチュアルなあるいは現前する現実と、他方ではそれに対置しうるいっさいのものとのあいだの境界線を疑ってみるいくつもの理由があることになる。すなわち、不在、非―現前、非現実性、非アクチュアリティ、潜在性あるいは見せかけ一般さえといったもの等々とのあいだの境界線を。まず第一に、〈現在〉の自己同時性を疑ってみなければならない。過去の亡霊と未来の亡霊、〈過去の現在〉の亡霊と〈未来の現在〉の亡霊とのあいだの差異を規定できるかどうかを問う以前に、もしかすると、亡霊性の効果〔effet de spectralit€驕lとは、現実の現前性〔pr€駸ence effective〕とその他者とのあいだのこうした対立の裏をかくことに、ひいてはこうした弁証法の裏をかくことにあるのではないかと問うべきかもしれない。それがたとえ弁証法的であったとしても、この対立は、マルクス主義とその敵たちの一団あるいは同盟の双方にとって、つねに閉じられた闘技場であり続けたのではないか、つねに共通の公理系だったのではないか、と問うべきかもしれないのである。 

(Jacques Derrida/哲学者)(増田一夫訳 構成・編集部)