2007年01月01日

『機』2007年1月号:二・二六事件とは何だったのか 渡辺京二

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●世界の中で二・二六事件はどう報道されたか。二・二六事件の核心に迫る。


 反乱指導者の胸中において、二・二六反乱は昭和維新政権を樹立する軍事クーデタではなかった。結局、彼らには帝都中枢部占拠後の確たる展望も構想もなかったのである。では、「蹶起」の目的は何であったのか。その最大なるものはいわゆる重臣ブロックの粉砕であった。
 反乱将校の命題はこうである。今日の国民生活の困窮と対外的な困難は現在の指導体制、元老・重臣・官僚・財閥・軍閥の根本的解体によってしか打開できない。その解体は、自立した国民運動によらねばならぬ。その先頭に立つのが天皇である。なぜなら天皇とは、この世に見捨てられた民を一人としてあらしめてはならぬという理念の顕現だからである。その天皇の真の意志が解き放たれるとき昭和維新は成る。だが天皇の存在の本義は常に重臣ブロックによって顕現を阻まれてきた。ゆえに重臣ブロックの粉砕こそ維新革命の第一歩であらねばならず、この反乱はその第一歩を踏み出すものである。
 村中の『丹心録』を読めば、彼らの維新革命観が一種の神義論的相貌を帯びているのに気づかないわけにはゆかぬ。神義論の核心は国民の守護聖者、国民の解放者としての天皇の本義にあった。重臣たちの妨害とミスリードさえなければ、この本義は光のごとくおのずと流出するはずである。反乱将校の命運はかつていまだ検証されたことのないこの神義論的命題の正否にあった。彼らは史上一度も存在はおろか夢想もされたことのない天皇の本義を発明したのである。
 天皇の真意はただ重臣たちによって曇らされているだけで、それさえ除けば必ずや昭和維新を嘉するというのは、何の根拠もない盲信だった。反乱鎮圧の方針を終始リードしたのは実に天皇裕仁そのひとだったのである。
 天皇は「機関説状態」に何ら不満を抱いていなかった。その状態から解放し奉ろうという反乱将校の忠誠など迷惑至極、逆に「真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為」であって、彼らが殺害した重臣こそ「朕ガ股肱ノ老臣」にほかならず、「此ノ如キ兇暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノ」なしというのが本音だった。だが私は天皇がこの反乱を「国体の精華を傷くるものと認」めたこと(『木戸幸一日記』)を、昭和前史の重要な事実のひとつと考える。国体について天皇と天皇主義者がこのように鋭く対立するほどに、昭和という時代は成熟していたのだ。この反乱の眼目は軍隊を動員したことにある。天皇の軍隊を国民の軍隊と読み替えて、反乱に軍隊を用いたのが画期的なのである。天皇の軍隊を革命に使用する、これほどスリリングなことがあろうか。将校・下士官・兵にこのようなおそろしい行為に踏み切らせるほど、時代の水位は上昇していた。
 彼らは何のため軍隊を使用せねばならなかったのか。革命は自立する人格の所有者としての国民の事業であった。軍隊という狭い世界に棲む彼ら将校にとって、国民とは兵のことである。兵とともに起たねば革命は革命にならなかった。兵とともに起ってこそ、彼らの国体観は明示される。天皇が激怒したのは彼らの国体観の実像をありありと目のあたりにしたゆえではないのか。
 「『姉ハ……』ポツリポツリ家庭ノ事情ニツイテ物語ッテ居タ彼ハ、此処デハタト口ヲツグンダ、ソシテチラット自分ノ顔ヲ見上ゲタガ、直ニ伏セテシマッタ、見上ゲタトキ彼ノ眼ニハ一パイ涙ガタマッテ居タ」。高橋太郎少尉の手記の一節である。彼は続けて書く。「モウヨイ、コレ以上聞ク必要ハナイ、暗然拱手歎息、初年兵身上調査ニ繰返サレル情景」。彼らがともに起った兵とは、少なくとも理念としてはこのような存在だったのである。天皇はそのようなことを想像するさえできなかった。

(わたなべ・きょうじ/思想家)