2006年11月01日

『機』2006年11月号:「伊都子の食卓」を授かる 窪島誠一郎

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●手料理、「もてなし」の達人、その極意とは。


 岡部伊都子さんの新刊書『伊都子の食卓』を授かる。
 ふろふき大根、かぶらむし、柿の葉ずし、生湯葉、凍豆腐……こうならんだだけでツバが出てきそうな四季折々の京の食膳だけれど、岡部さんはそこにもう一味、岡部さんが少女期をすごした大阪や、その後転じられた神戸付近の庶民的な惣菜を加えられている。幼い頃母親がつくってくれたというおむすびやアツアツのでんがく、叔母さんが得意だったという長茄子や鱧の皮をまぶした五目ずし、千切り大根の煮つけ、白天入りのおから汁などなど、素の食材のまんまを生かしたレシピが岡部家の定番料理だったようだ。何章目かに書いておられるけれども、「このごろは無演出、無装飾の気品と素材だけで構成される味を大切にしたいと考えている」という、いわば岡部さんの人生訓、食膳訓ともいえる教えが万遍なくちりばめられているのがこの本なのである。
 もう何年か前になる夏の一日、私も一度だけ、まだ出雲路にお住まいだった頃の岡部さんにお招きいただき、岡部さん直々の手料理のもてなしをうけた思い出がある。細かなメニューは忘れてしまったけれど、その朝神戸からとどいたばかりという極上のお肉に旬の京野菜の付け合わせ、鱚だったかyFだったか、カラリと揚げられた白身魚の天麩羅は、食前酒に出していただいた良質の冷酒にぴったりと合って、それこそ頬が落ちる思いだった。しかも、膳を整えおえた伊都子さんが、私の前に素敵な和装で正座されて話の相手をしてくださるものだから、すっかり甘えて長居してしまって。
 ただ、その日の私には大切な役目があった。岡部さんの戦死されたお兄さんの博さんの形見の品々と、十六歳の「伊都ちゃん」に求愛の告白をされて出征、やはり南方で若く戦死された隣家の帝大医学生滝川龍嗣さんの遺品や手記がいっぱいつまった二つの文箱を、私の信州の美術館(戦没画学生の遺作があつめられている)でお預かりすることになっていたのだ。その文箱は、現在京都衣笠にある立命館大学国際平和ミュージアムの「いのちの」の特設コーナーに展示されている。
 もちろん「伊都子の食卓」にも、博さんや滝川さんの思い出がたんと出てくる。たとえば入営前の博さんと心斎橋筋を歩き、「そごう」のパーラーでオレンジジュースを飲んだ日のこと。戦争がはじまってまもなく、前線へ配属される航空隊に博さんを兄妹三人でたずね、宵の銀座でわかさぎの天麩羅を堪能した日のこと。灯火管制の予行演習の夜、心斎橋を隣の兄ちゃん滝川さんとその母上の三人とで散策し、喫茶店に入って真っ赤な西瓜をほおばった日のこと……どれにも伊都子さんの「食卓」に明滅していた戦火の影がゆれていてやるせない。
 それと、泡盛のを塩がわりに使った豚料理、粟ごはん、八重山のかぼちゃ、本のあちこちでさりげなく沖縄の食材や料理が紹介されているのは、岡部さんが沖縄戦で戦死した許婚者にささげるオマージュでもあるのだろう。「こんな戦争で死んではいけない」といっていた許婚者を、泰然と「私なら天皇陛下のために死ねる」と送り出した軍国少女岡部伊都子の、日ごとの「食卓」に手を合わせる祈りは、亡きひとがむかえることのできなかった「戦後」への自責の祈りでもあるといえるのかもしれない。
 「伊都子の食卓」は、そんな伊都子さんが今生で出会った愛する人々すべてと囲む「食卓」でもあるのである。

(くぼしま・せいいちろう/「信濃デッサン館」「無言館」館主・作家)