2006年10月01日

『機』2006年10月号:「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」 山下範久

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●ウォーラーステイン自らが初めて語る、「世界システム分析」の全体像!

 現在、世界の最も富裕な五〇〇人の所得の合計は、世界の最も貧しい四億一六〇〇万人の所得の合計よりも大きい。また世界総人口の四割を占める約二五億人のひとびとが、一日二ドル以下で生活しており、そのひとびとの所得の合計は、世界の総所得の五パーセントにしか相当しない。
 今日、グローバルな規模での不平等は、その規模の拡大によってますます切迫した問題となっていると同時に、貧困や暴力が世界の一部に局在する問題ではなく、世界のいたるところに偏在する問題、つまり誰にとっても他人事ではない問題となってきている。
 それだけに、こうした問題に関心を抱き、実際なにかしら立場に応じたアクションを起こしている人は少なくない。しかし、問題の全体が巨大で複雑なため、個々のアクションを、その全体の構図のなかで評価するのは容易ではない。
 世界システム論は、こういったグローバルな不平等を、ひとつの構造的な全体として捉える見方の古典である。古典であるから、学者のあいだには、その長短功罪について、それなりに定まった評価というものがすでにある。だが、それを過不足なく初学者が学ぶための教材は、これまでほとんどなかった。
 原因は二つだ。ひとつは、世界システム論が、既存の学問の枠組みからすると、歴史学、社会学、政治学など複数の分野にまたがる問題設定をとっていることにある。そのため、多くの既存の世界システム論の概説は、それら個別の各分野に切り刻まれたかたちでしか提供されてこなかったのである。
 もうひとつの原因は、一九七〇年代に初めて世界システム論を提唱して以来、ウォーラーステイン本人が、理論の更新を繰り返してきたことにある。このため、とりわけアクチュアルな問題と取り組む場合の指針として世界システム論を読もうとするときには、つねに最新のテクストから過去のテクストを再解釈・再構成していかなければ不十分であるということになり、それが初学者にとって、世界システム論への入門のハードルを上げることになったのである。
 グローバルな問題に個人が向き合うときの指針として、「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」とよく言われる。世界システム論は、そうした必要に備えて自ら考えを深めようとするときの出発点として、いまもなお実際的な使いでがある。だが、まさにそうした出発点として読むべきテクストがこれまで不在だったのだ。今回翻訳した『入門・世界システム分析』は、ウォーラーステイン自身がこの不足を埋めるために書いた恰好のテクストだ。これまで入門書の代わりとしてよく薦められてきた『史的システムとしての資本主義』よりも格段に現代的関心に応える構成であり、今後は、本書が世界システム論入門の定番となろう。
 ウォーラーステインの時代診断には、共鳴する読者、反発する読者、いずれもあろう。しかしいずれにせよ、そこから構造的全体としてのグローバルな不平等の問題との対話を始めることが、真の意味での入門なのである。

(やました・のりひさ/北海道大学助教授)