2006年09月01日

『機』2006年9月号:民衆の護符としての「お札」の集大成 仏蘭久淳子

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 「お札」というものは、昔はごく普通に一般の人々の間に流布していたものだった。お寺に参詣し、その寺の本尊(時には本尊でなくても)の姿が刷られた木版画に寺印を押してもらって、それを頂いて帰る、御本尊の代替のようなもので、自家の仏壇や台所の壁、門柱などに貼っておき、一年過ぎればまた新しいお札を頂いて取り替え、護符としていたものである。
 例えば、「三宝荒神」のお札は火と竃の神として台所を護っていたし、有名な札所の千手観音のお札を仏壇にまつっておいたりしたものである。それらの紙片は寺でまつられている礼拝尊の形を伝え、たとえ本尊が秘仏であってもそのお姿が刷られていた。ところがこのお札は庶民の間の消耗品のようなものであったし、多くは素朴な版画で、美術史家も学者も大して注意を払っていなかった。
 しかし、そこにこそ普通の人々の熱い祈りの心が反映していたのである。博物館のいかに有名な国宝仏でもそれに祈る人がなければお札は存在しない。街角の小さなお堂でも、そこのお地蔵様やお薬師様を信仰する人々がいればお札はあった。つまり「御絵札の神仏たち」は民衆の心の中で実際に信仰され、生きていた神仏たちだったのである。
 ベルナール・フランクが初めて日本に着いた1950年代といえば敗戦からまだ遠からず、衰えつつあるといえども、日本にはまだ昔の習慣が残っていた。フランクは正統的な経典の中の仏教を学ぶと共に、インドから伝わったこの宗教が、日本の各地では実際にどのように受け取られ、信仰されているのかを現地で知ろうと、北は青森から南は鹿児島まで、40年の歳月をかけて精力的に寺々を廻り、住職や参詣者と語り合い、その雰囲気にふれ、お札を買って帰った。
 こうして集めた千枚余りのお札は、20世紀後半の日本にまだ生きていた信仰の証明であり、庶民が信仰した神仏のほとんどを網羅している。その種類が大変多く、さらにイコノグラフィーが実に多様であったことに驚かされる。フランクはこれらのお札を伝統的な分類法に従って(例えば『仏像図彙』のように)、如来部・菩薩部・明王部・天部・権現部・高僧部の六部に分類した。
 お札にはその崇拝尊にまつわる霊験、縁起なども具象化されていることが多く、そういうことなども含めた総体的な解説を付した集大成をつくるという意図をもって用意をしていた。つまり、お札による「日本仏教パンテオン解説」である。しかし、その志は遂げられずに故人となった。学問は無限であり、人の命は限りある以上、致し方ないことである。
 この度、藤原書店から出版される『「お札」にみる日本仏教』の図版は、現在コレージュ・ド・フランス日本学高等研究所にある「ベルナール・フランクお札コレクション」の中から二百点余りを選んでいる。文はフランクが生前、ギメ美術館仏教パンテオンのために書いた各尊の解説を抄訳したものである。
 インドの源泉から始まって日本の庶民の視野も入れた解説はユニークであろうと思われるが、彼が予定していた豊かなパンテオンの全貌からは遠いものであろう。今日では多くの立派な仏像解説書が出版されているので、一外国人が書いたものなど……と思われる向きもあろうが、予備知識のないフランス人も対象に入れた解説が、案外明晰でわかり易いということもあろう。稚拙だと思われているお札もこうして眺めてみるとなかなか興味深いもので、そこに表象されている国際的な文明史の一面を味わって頂きたいと言えば少々大げさであろうか。

(ふらんく・じゅんこ)