2006年07月01日

『機』2006年7月号:鞍馬天狗とは何者か?  小川和也

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焦土の中に現れた「国民」的ヒーロー
 1923年、関東大震災により、首都・東京は焦土と化した。鞍馬天狗が「国民」の前に姿を現したのは、その翌年のことであった。それは、第一次世界大戦という総力戦とともに、歴史の地平に姿を現した大衆の時代でもある。
 以後、鞍馬天狗は大衆の支持をうけ、新聞・雑誌・映画・テレビといったマス・メディアを通じて、「国民」的ヒーローとして活躍した。『鞍馬天狗』シリーズは戦後の高度成長期のただ中の1965年まで、四十二年の長きにわたって書き継がれ、全四十七作品が誕生している。
 鞍馬天狗が活躍する舞台は幕末維新期で、彼は倒幕派の志士である。時代小説の架空のヒーローが世を捨てたニヒリストか、体制擁護者が多いなかで、鞍馬天狗は反権力を貫き、体制を変革しようとする徹底した個人主義者・自由主義者という点で特異な位置を占める。

鞍馬天狗の生みの親
 この鞍馬天狗という人物を作りだしたのは、大佛次郎(1897-1973)である。その経歴は、一高・東大から外務省条約局へというエリート国家官僚の道を歩みながら、ドロップ・アウトし、大衆作家となったという特異なもので、フランス文学を中心とするその教養のレベルは極めて高い。
 大佛は軍靴の響きが少しずつ高まりつつあった1930年代に、『ドレフュス事件』『ブゥランジェ将軍の悲劇』というノンフィクションを書いている。これらの作品は、日本の軍国主義の台頭を痛烈に批判したもので、井出孫六氏は大佛を「つねに醒めた理性と知的余裕」の持ち主と位置づけている。戦後は『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』といった、日本文学において稀有で重厚な歴史叙述を手がけた。大佛は震災の翌年に二十七歳で作家としてデビューしてから、73年に七十五歳で亡くなるまで、新聞・雑誌の第一線で書き続け、時代小説・現代小説・ノンフィクション・随筆・戯曲・少年少女小説など、散文のあらゆるジャンルで活躍した。その業績が称えられて、死後、朝日新聞社により「大佛次郎賞」が設けられている。

戦時下の大佛の「空白」を埋める
 鞍馬天狗のように戦前のヒーローで、戦後も生き延びた例は少ない。例えば、戦前のヒーロー、楠木正成は「軍神」として崇められたが、戦後は見捨てられてしまった。軍国主義の下で支持されたヒーローの多くは、戦後民主主義のなかで消える運命にあったのである。
 敗戦は「国民」の意識を大きく変えた。にもかかわらず、戦前の鞍馬天狗というヒーローが、戦後も読者の支持を受け続けたのはなぜだろうか。その秘密は、作者である大佛があの戦争をどう捉え、どう行動したのか、その実態のなかに隠されているに違いない。
 ところが、「満州事変」以降、殊に太平洋戦争下における大佛の思想と行動には、「空白」が存在する。
 この「空白」はとりわけ随筆に代表される。戦時下の大佛の小説やノンフィクションは戦後、あらためて活字化されているものが多いのだが、随筆は165篇のうち、二十七篇しか公刊されていない。特に太平洋戦争中のものは戦後ほとんど公刊されず、42年と44年に限ってはすべて未公刊である。これは、いったいなぜなのだろうか。
 そこで、封印を解くように未公刊の随筆を読んでみると、そこには、これまでの大佛のイメージを覆す衝撃的な事実があることが判明した。大佛の戦時下を知る重要な資料として、すでに『敗戦日記』(草思社、1995)が刊行されているが、この日記は、大佛の「空白」を埋めることで、より深く理解できる。
 このように、本書は、戦時下の「空白」を埋めることを通じて、大佛次郎という作家の実像に迫り、また、鞍馬天狗という作中人物が、この作家と「国民」に対してもつ現代的意義を探るものである。

(おがわ・かずなり/日本思想史・近世史)