2006年06月01日

『機』2006年6月号:「天才的小説」(ドストエフスキー) 持田明子

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サンド「田園小説」の真骨頂
 ジョルジュ・サンド(1804-1876)は四十余年に及ぶ長い創作活動の中に、多様なジャンルの、きわめて多彩な主題の、百余に及ぶ作品を世に問うた。時代や社会の抱えるさまざまな問題を作品に投じ、その解決を模索した、すぐれて社会的な、時に戦闘的なまでの作家でもあったが、作家としての名声を不動のものにしたのは、中部フランスのベリー地方やブルボネ地方を舞台にした一連の「田園小説」であった。文学作品として最も完成度が高く、最も多くの読者を得てきたと言えよう。今日、作家サンドの名が想起させるのはまず『魔の沼』であり、『ラ・プティット・ファデット』であろう。
 サンドの「田園小説」が描き出すのは、大地に結びつけられ、労苦の末に死が待つばかりの過酷な条件にさらされた農民たちの姿ではない。額に汗して労働する幸せであり、生命が充溢した力強さであり、自然と交感する喜びであった。そして、彼らの暮らしに通奏低音のように流れているのは、土地に深く根ざした血の中にガリアの時代から受け継がれてきた信仰や、伝承や、習俗であり、文明化された都会人の理解を越えた、素朴な迷信であった。

自然の繊細な描写
 ユゴーや、ミシュレと同じく、ほかの社会階層に対する民衆の優越性を確信するサンドは、「農夫は文字を読むことはできないにしても、神からすぐれた本能と、穏和な体質と、公正な良心を授けられている……最も純朴で、最も素直な農夫でも芸術家だ。彼らの芸術はわれわれの芸術よりも優れている。われわれの文明のどんな形態よりも心に響く」と、『捨て子のフランソワ』(1847-48年)の序文に記しているように、かつてルソーが夢想した〈幸せな原始人〉を彼らの中に具現しようとした。
 もっとも、皮相な先入観から、「田園小説」群に登場する農民はこぞって理想化された類型的な、牧歌的人物であると見なされがちだが、透徹した人間観察を重ねてきた作家サンドの目は〈現実〉を決して見逃してはいない。
 さらに、一連の田園小説の特筆すべき点は、「都会」と対置された「田園―自然」の繊細な描写である。サンド自ら、〈黒い渓谷〉と名づけて愛したベリー地方の美しい自然が、澄み切った大気、掘り起こしたばかりの土の匂い、陽光に輝く干し草の温かさ、揺らめく光、木々の葉の囁き、草むらにひそむ虫の声……とともに、見事に映し出された。
 サンドの「田園小説」をことのほか愛したツルゲーネフは、その秀逸な自然描写に深く影響されたという。

ベリー地方に伝わる口碑・伝説・信仰
 哲学者アランが「復活祭の作品」と評し、「これによって彼女は不滅である」と称賛した壮大な大河小説『コンシュエロ』を、サンドは、1842年から 1843年にかけて完成させたが、作家として、新たな領域に挑み続けたサンドは、翌1844年に、主題も登場人物たちも舞台も時代も大きく異なった『ジャンヌ』を、初めての新聞連載小説として執筆した。
 周知の通り、サンドは生涯、驚異的な数の手紙をしたため、現在、およそ二万通を目にすることができるが、『ジャンヌ』の創作過程を明らかにするものは、 1841年10月半ばの手紙に、「トゥル(=サント=クロワ)を舞台に小説を書きたくなりました……」という言葉が残っているだけである。サンドの創作ノートをあえて仮想すれば、第一頁に記されるのは、次のような項目であろうか。


1 生命を蘇らせ、育む自然の恵みの中に理想的人物像を配する。
2 フランス中部地方に残る異教的信仰や、農民の間に伝わる口碑・伝説(妖精、夜の洗濯女、巨大な獣……)をライトモチーフとする。
3 神秘的な歴史上の人物ジャンヌ・ダルクの〈復活〉。十九世紀の羊飼いの娘の内面を通して、ジャンヌ・ダルクの心理にわけ入る。(*1840年代、処刑裁判等の資料集や歴史書の出版で国民的賞賛の高まりを見た)


 古代ガリアの名残をとどめる古代遺跡が散在するベリー地方の村落。文字を知らず、学びたいと願うこともなく、母から教えられた信仰――この地に伝わるドルイド教と原始キリスト教が渾然と混じりあった信仰――を胸に深く抱き、ファド(妖精)の存在を固く信じる純真無垢な美しい羊飼いの娘ジャンヌ。この娘を取り巻く、三人の青年(ブッサク城の若き城主ギヨーム・ド・ブッサク男爵、フランスを旅する英国貴族アーサー・ハーレー卿、非常に有能だが、早くも堕落した好色な弁護士レオン・マルシヤ)。三者三様に美しいジャンヌに強く心惹かれ、物語が展開する。
 三人の若者が狩の途中、はるかな昔にドルイド教の祭壇として使われたドルメンの上で眠っている羊飼いの少女ジャンヌを目にし、持ち合わせていたコインを一枚ずつその手の中に置いて立ち去った。(プロローグ) 意地悪なファド(妖精)の仕業と考えた母の勧めで、少女は不幸から身を守るために生涯純潔を貫く誓いを立てる。やがて、ジャンヌは母を病で失い、その同じ日に、粗末なわらぶき家が落雷で全焼。亡くなった母が昔、ギヨームの乳母だったことから、ブッサク城で小間使いとして働き始める。


 城の客人アーサー卿はジャンヌの類を見ない純真さや、自己犠牲や、献身に深く心を打たれ、文字さえ読めぬことを知った上で、結婚を熱望。
 一方、ジャンヌは狡猾なマルシヤの罠に陥り、塔に閉じ込められるが、ただ一度の接吻さえ頑として拒み……悲劇的な結末を迎える。
 ジャンヌの村トゥルには古代ガリアの時代、オッピドゥム(高城集落)があった。この村の地中に莫大な財宝(金の牛)が埋められているという伝承がこの不思議な物語の全篇を貫き、ロマン主義の好んだケルトの香りが立ち昇る。


バルザック、ドストエフスキーからの絶讃
 『ジャンヌ』は『コンスティテュシオネル』紙に掲載された。バルザックは、


  かわいい人、『ジャンヌ』を読了したところです。お祝いを言います。これまでの作品の中で最高のものですよ。無条件で、旧友からの賛辞を送ります。
ドム・マール
 (追伸)エッツェルの発送を利用して、友情の無数の花をあなたに届けます。


と書き送り、さらにハンスカ夫人への手紙(十一月八日)でも『ジャンヌ』に言及した。


  これをお読みください。驚嘆に値します! 『ジャンヌ』を羨ましく思います。私には『ジャンヌ』は書けません。完璧の域に達しています、人物は理解できます、こっけいさが大いに認められるからです。構成は巧みではありませんが……風景は鮮やかな手並みで仕上げられています。


 この時期、バルザックはまさしく『農民』の筆を進めていた。
 青年の日々、サンドの作品を歓喜と崇拝のうちに読んだというドストエフスキーは、作品に現れる力強い理想を心に抱いた清らかな若い女性に賛嘆の声を上げた。『作家の日記』で、サンドの描いたヒロインの高邁な道徳的純潔に言及し、まさしく彼が天才的小説と呼ぶ『ジャンヌ』のヒロイン、ジャンヌにその最高度の具現を見た。
 現代の百姓娘の中に、彼女は突如われわれの眼前に、歴史上の人物ジャンヌ・ダルクの姿を復活させ、この崇高な、奇跡にも等しい歴史現象の現実的可能を、まざまざと立証している、――これこそ完全にジョルジュ・サンド式課題である。なぜなら、おそらく彼女をのぞいて、同時代の詩人のうち何人といえども、あれだけに清らかな無垢な少女の理想を、――単に清らかであるのみならず、その無垢のゆえにあれだけに力強い理想を、――抱懐するものはなかったからである。(米川正夫訳)

(もちだ・あきこ/九州産業大学教授)