2006年05月01日

『機』2006年5月号:ヒト学の誕生 大貫良夫+尾本惠市+川田順造+西田利貞

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区別・偏見・差別
尾本 私は人類学から人権をアプローチするときに、「区別・偏見・差別」を次のように分けて考えています。まず「区別」というのは、ある事物が他の事物と異なることを認識すること。これは人間の知恵の基本的な性質。次に「偏見」。ヒトは文化を持つ動物であるが、偏見はこの文化の能力が本来持っている性質である。つまり、価値判断ですね。偏見とは価値判断に由来する個人的な好き嫌いと言ってもいい。最後に「差別」。「人間の価値判断に関する偏見を公に認め、または法律等に反映させること」と理解しています。人種や民族に関する差別は最も忌むべきものです。しかし、このようなことに関する個人的な感情、差別感は、時に単なる偏見に過ぎないこともありうる。どこまで偏見で、どこまでが差別で、どこまでが区別かを冷静にとらえていかなければいけない。

宗教と連帯、暴力の起源
西田 ヒトとチンパンジーを分けるものとして宗教があります。宗教というのは、二つ要素がありますね。一つは世界観。広い意味ではサイエンスも世界観の一つだと思います。もう一つは、最近の戦争で問題になっているように、宗教のなかにリーダーシップや階級制といった要素が入っている。一神教の神は全能ですし、多神教でも神様に序列があります。序列は、チンパンジーや霊長類の多く、あるいは脊椎動物に広く見られます。古い順位制が宗教と結びついていくことが、戦争におけるリーダーシップと関係してくるのではないかと思うんです。

「人間的なるものとは何か」
大貫 人を殺すこと、個人を殺すことはいかなる社会においてもたまにはあると思いますけれども、集団間で相手を殲滅するような戦争という形態は、これは非常に人間的な特徴ではないかと思います。むしろ非人間的だといわれることが実はきわめて人間的です。そういう非人間的と言われているようなことのほうが、むしろ人間を人間たらしめているところがある。

世界じゅうを覆った国民国家
川田 世界じゅうが国民国家の枠で覆われたというのは、60年代以降が初めてだろうと思います。全部国境が定められている。もちろん国境そのものだって紛争の元になっている。そのなかで、国をつくっているのが文化的にも単一の集団でないとすれば、当然マジョリティとマイノリティの問題が出てきて、差別の問題が起こる。それに対して、クーデターで引っくり返すか、あるいは分裂して別の国家をつくったとしても、これはまたいたちごっこになる。そこで古いモデルの国民国家というものを、今度は国を超えた地域連合とか、国のなかの地域起こしとか、国民国家の範囲の外側と内側の両方で解体していこうとする動きがあって、ですから暴力の問題というのも、一方では宗教の問題と、それからもう一つは人類史上初めて世界じゅうを覆ってしまった国民国家の問題が非常に大きい。

※全文は『ヒトの全体像を求めて』に掲載(構成・編集部)