2006年03月01日

『機』2006年3月号:江戸期、異色の女学者 門玲子

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江戸女流文学の中の異色の人
 江戸女流文学には、伝統的な和歌、随筆、日記、物語、紀行文、手紙の他、漢詩、俳諧、狂歌などの広い分野があり、数多くの女性作者が活躍していた。江戸女流文学の世界は広く、多彩であった。
 その中で、ひときわ大きな存在が、仙台の只野真葛(1763―1825)である。彼女は歌人であるが、幼時の思い出を綴った「むかしばなし」や日記、紀行文、聞き書きなどを書いたのちに、「独考」という思索の書を著した。真葛の和文は、江戸派の国学者、村田春海から高く評価された。その代表作「独考」を手厳しく批判した読本作者、滝沢馬琴さえ、真葛の志と才能、すぐれた素質を称揚している。


生いたちと「むかしばなし」
 真葛は江戸中期に活躍した仙台藩医、工藤平助の長女である。その頃は、老中田沼意次の開明的な政策によって、社会全体に活気があった。文化が成熟し、すぐれた人物が次々に現れた。江戸の築地にあった工藤家には、当代の知識人や学者たち、患家の大名や家臣たち、さらには歌舞伎役者や侠客まで出入りする、大らかで華やかな雰囲気があった。真葛の著作に見られる視野の広さと鋭い洞察力は、父親の薫陶の下、その明るい雰囲気の中で培われた。
 十六歳の時から十年間、仙台藩と彦根藩の奥御殿に勤め、三十五歳の時に、仙台藩の番頭、只野伊賀行義に嫁ぎ、仙台に下る。その後の二年ほどのことを「みちのく日記」に綴っている。歌人として鍛えた眼で、江戸と仙台の言葉・風土・動植物の微妙な相違を感じとり、的確な文章で書いている。続けて、「塩竃まうで」や「松島のみちの記」「ながぬまの道記」などを書き、さらに夫伊賀にすすめられて大作「むかしばなし」を書きはじめる。この作品には、真葛が幼い頃から見聞きした築地の工藤家の日常風景や、当時の世相が書かれている。長崎や松前から様々な人が訪ねてきて、オランダの珍しい文物がもたらされた。真葛はそれらの形状、色彩までよく記憶していて描いている。田沼時代の活気ある江戸の有様をいきいきと再現した。


思索の書「独考」
 「むかしばなし」を書いている最中に、弟の源四郎元輔や夫只野伊賀が相ついで亡くなった。弟の後楯となるために仙台まで下った真葛は、呆然として日を過ごしていたようだ。
 しかし真葛の強靭な自我は、立ち直る。父平助の志や事績を書き著すのは自分しかいない、と自覚して、思索の書「独考」を書きはじめた。それは誰にも教えを乞わず、一人で考え続けたことを書いたものである。生きていることの意味、金のために争う世間への批判、その時代の道徳の規範であった儒教への強烈な批判がこめられている。
 この草稿を真葛は滝沢馬琴に送った。彼の推薦によって出版したいと願ったのである。馬琴は一読して驚くが、政道批判が随所に見られることに危険を感じ、厳しい反論「独考論」を書いて送り返した。こうして真葛の「独考」出版の夢は断たれた。真葛は、その六年後の文政八(1825)年に六十三歳で亡くなる。


今も生きる真葛の精神
 大正十年頃、「独考」を出版しようとする人があり、原本を東京の出版社に持っていった時に関東大震災にあって、焼失してしまった。幸い書き写されていた部分や、抄録が現存し、今日私たちは只野真葛という女性の、素晴らしい実証的、批判的精神を知ることができる。
 『わが真葛物語』は、筆者自身が感じ取った真葛の人間像であるが、これによって真葛という江戸期の女流文学者を知っていただき、真葛の作品そのものに関心をもってほしいと願っている。

(かど・れいこ/作家)