2006年03月01日

『機』2006年3月号:「これは、最初で最後の政治小説だ」 和久井路子

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パムク作品の世界
 ルネッサンスの絵画では、見えるものを見えるとおりに、遠近法を用いて立体的に描く。しかも画家の個性が重要であった。ところがイスラム芸術である細密画の世界では、「よい」絵とは平面的であって、あくまでも伝統的な規範に従って描かれるべきであり、そこでは個性は欠陥と考えられていたのである。細密画では、たとえ実際には見えなくても、心の目が見る「あるべき姿」を描かなければならなかったのである。たとえば、近くにいる犬を遠くにあるモスクより大きく描くことは、冒涜であると考えられていた。
 トルコの作家オルハン・パムクは、世界的ベストセラーとなったその著書『わたしの名は紅』で、イスラムの伝統的価値観と西の価値観との対比を描いた。十六世紀末のオスマン・トルコの宮廷に属する細密画師の世界において、彼らが西の絵画に出遭った時の驚愕、東と西の葛藤が描かれていた。
 パムクの次の作品である『雪』でも、政治的設定の中で東と西の対比がさまざまな形で見られる。二十世紀初めにオスマン・トルコ帝国の崩壊と列強の蹂躙の中からトルコ共和国を樹立したアタチュルクとその後継者たちは、旧弊の根源をイスラムに見たがゆえに、目標としたトルコ共和国の近代化においては徹底的にイスラム的要素を排して、政教分離主義、男女同権、ヴェールやトルコ帽の廃止、トルコ語の文字をローマ字に変えるなどの改革を行った。この作品では、それに対するイスラムの伝統を固持したいイスラム主義者たちとの対立、富める者と貧しい者、新しいものと旧いものなどのディレンマが描かれている。そして、これらのディレンマは、全く別個のものではなく、時には一人の人間、一つの良心の中にも存在するのである。

『雪』は「最初で最後の政治小説」
 『雪』は、オルハン・パムクの七作目(英訳された五作目)の作品で、著者自身の言葉を借りれば、「最初で最後の政治小説」と言われている。ドストエフスキーもJ・コンラッドもひとつだけ政治小説を書いているから、と。また、トルコの政治小説の多くは、イデオロギーが表に出て、文学からは程遠いものだったが、このテーマだけは書かなければならないと「政治的メッセージのない政治小説」を書いたとも言っている。冒頭にスタンダールから「文学において政治とは、コンサートの最中に発射された拳銃のように耳障りで忌まわしいものであるが、しかし無視することもできないものである。今読者はこの醜いものに触れることになるのである」と引用しているが、読者は、「この醜いが無視することができないもの(=政治的な題材)」を扱っているにもかかわらず、この作品が十分に文学であり、芸術であるのを見出すことができるであろう。さらに、巧みなプロットによって、そこには、恋も、ミステリも、芸術論も、クーデタもある読み応えのある作品となっている。

テロの原因とは
 パムクはまた、ドストエフスキーがしたように、種々の人格に自由に語らせることも意図したと言う。政教分離主義者も、イスラム主義者も、イスラム原理主義者のテロリストも、全て同じ人間であることを示したかった、と。タブー的忌避によって理解されない人間の精神や情熱を理解しようとすることは、文学の挑戦でもあり義務である、と。
 そして、パムクは政治的イスラムと宗教的イスラムを区別するべきだとも言う。後者は、文明であり平和的なものである。それに対して前者は、宗教的イスラムを濫用してテロを行使する。しかし、それに対して武器をもって戦うことは解決にならない。他の文明に対する寛容と理解が必要である、と。パムクは、9・ 11事件の直後には『ガーディアン』紙に、「テロを引き起こしているのはイスラムでもなければ貧困でもない。かれらの言うことに誰も耳を貸そうとしないことだ」とも書いている。

世界における『雪』の評価
 『雪』は、二年半かかって9・11事件の三ヶ月後に完成した。2002年の初頭にトルコで出版されると、非常に売れた。そしてそれと同時に、右からも左からも批判をうけた。2004年に翻訳版が出ると、欧米の各国でベストセラーとなり、世界的ベストセラーと言われた前作『わたしの名は紅』をはるかに凌いだという。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、その年の英語で書かれた出版物のベストテンに選んでいる。2005年には、ピューリッツァー賞の最終候補にもなり、同年十一月には、フランスのきわめて権威あるメディシス賞(外国文学)を得た。フランスでの文学賞受賞も、これで四作目となった。さらには、オルハン・パムクは昨年もまたノーベル文学賞の最終候補者の一人であったが、同じく候補に挙がっていたマーガレット・アトウッドは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評欄で、『雪』について「心を奪われる見事な物語であるのみならず、現代における必読の書だ!」と絶賛している。

『雪』の主人公は四十二歳の詩人
 『雪』の主人公は、四十二歳の詩人である。彼はこの十二年間ドイツで亡命者としてくらしていた。母親の葬儀に参列すべく十二年ぶりにイスタンブルの地を踏んだ折に、新聞記者をしている昔の友人の勧めで、トルコの北東の辺境の町カルスでの取材の申し出を受けいれる。彼はその理由を、生まれ育ったイスタンブルの変わり様から、文化的にも経済的にもトルコで最も立ち遅れているカルスの町に行けば、失われてしまった子ども時代の思い出に出会えるかもしれないと考えたためだとしている。しかし、心の底では、その真の理由が、そこに昔学生運動をした仲間であった美貌のイペッキが、夫で同じく仲間であった詩人のムフタルと正式に離婚をして住んでおり、その彼女の心をかち取り、人生の最後の幸せをつかもうとしているからだということに自分でも気がついている。
 彼はカルスで、この四年間どうしても書けなかった詩が、あたかも誰かが耳元で囁くかのように次々にわき出してくるのを体験する。これらの詩を送ってくれる者が誰であるかを考える時、そして降りしきる雪がどこから来るのかを考える時、若い時から無神論者であったはずの彼は、心の中で神の存在を考えるようになる。降りしきる雪の無数の結晶が全て異なり、全く同じものはないという事実を考える時、人間の誰しもが、過去の記憶と想像力と理性の軸からなる六角の結晶を持っていることに気がつく。その結晶はそれぞれ異なり、全く同じものは存在しないことも。
 大雪のために道路はすべて遮断されて、カルスが外界から完全に弧立した三日間に、イスラム主義者の政党の有力な市長候補者の当選阻止と、イスラム主義者とクルド人民族主義者の運動の気勢をそぐために、偶々カルスにやってきた演劇団と町の協力者によってクーデタまがいのものが計画され、いくつかの偶然からそれが成功する。主人公は、カルスの町から無事に抜け出すために、また将来の唯一の幸せをつかむために、意に反してクーデタに手を貸してイスラム過激派のテロリストとの仲介役を演じざるを得なくなる。こうして、全く非政治的で、よい詩を書くことにしか関心のなかった主人公は、政治と宗教の渦中に巻き込まれてゆくことになる。

「アルメニア人問題」発言の真意
 昨年パムクは、スイスで新聞記者のインタビューでの「アルメニア人問題」に関する発言によって、トルコで国家侮辱罪に問われ、法廷に出ることになり、トルコのEU加盟問題とも相まって、世界中の関心を集めた。最終的には本年一月末、控訴は取り下げられて解決したのだが、長年タブーの扱いを受けてきたアルメニア人の問題にも触れるべきだとの意図での発言が歪曲された、と本人は言う。
 アルメニアとトルコは、いまだに双方の立場を互いに主張しながらも、事実の究明と両国の和解への問題解決の道を模索している状況ではあるが、今回の自身の裁判沙汰をパムクは、政治的な意図が全くなかった自分が政治的な立場におかれた状況になぞらえて、『雪』の主人公との「皮肉なめぐりあわせだ」と言った。

(わくい・みちこ/中東工科大学〔アンカラ〕勤務)