2006年02月01日

『機』2006年2月号:「スペイン・インフルエンザ」から何を学ぶか 速水融

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新型インフルエンザの脅威
 新型インフルエンザ流行が叫ばれている。すでに、東南アジアやトルコでは、鳥インフルエンザの感染によって死者が出ている。今のところ流行は鳥から鳥の間で、たまたまその鳥に触れたヒトが感染するにとどまっているが、感染者の死亡率は50パーセントと非常に高い。
 ウイルスは、遺伝子が不安定なRNAなので、変異しやすい。変異によってウイルスは、ヒトの細胞のにとりつくようになる。そうすると、インフルエンザはヒトからヒトへ感染し、大流行が起こる。すでに、鳥インフルエンザ・ウイルスの持つタンパクが、かなりの程度ヒトにとりつきやすいように変異したという情報もある。
 そもそもインフルエンザ・ウイルスの表面には、H突起とN突起があって、その組み合わせは144種類にもなる。鳥類は、これらのウイルスのすべてを持っているといわれている。しかも、鳥によっては、たとえばカモやアヒルは、ウイルスを消化器に持つので、その生命には異常がない。ただ、その排泄物のなかでウイルスがしばらくは生きているので、他の鳥類にうつる。ニワトリは呼吸器に持つので、ウイルスをうつされると死んでしまうし、ヒトにもうつす。インフルエンザ・ウイルスを持ったニワトリが発見されると、何百万羽もが処分されるのはヒトへの感染の可能性があるからに他ならない。

二十世紀最悪の人的被害
 過去において、インフルエンザの流行は何回か見られたが、世界中を巻き込み、甚大な被害をもたらしたのは「スペイン・インフルエンザ(1918- 20)」であった。第一次世界大戦の死者は約一千万人と言われているが、実にその四倍(約四千万人)の人命を奪った。しかもこのウイルスは、乳幼児や高齢者以上に、普段健康な壮年層(20-40歳)に襲いかかった。これは二十世紀最悪の人的被害であり、記録のあるかぎり、人類の歴史始まって以来最大のものである。
 それはアメリカの兵営に発し、アメリカ軍の欧州派遣に伴って世界に拡大していくのだが、そもそもそこへウイルスがどのようにして持ち込まれたのかは現在分かっていない。渡り鳥が運んできて、附近の鳥かブタにうつし、遂にヒトにとりついたのではなかろうか、というのが有り得る話である。
 もし原因が渡り鳥だとすると、われわれには防ぐ手立てはない。渡り鳥は、国境を越え、世界中を飛びまわっている。そうなると、インフルエンザの発生は、一種の「天災」だということになる。われわれにできるのは、せいぜい「減災」であり、起こってしまったらその被害をいかに最小限に食い止めるか、である。

「タミフル」やワクチンは万能でない
 最近におけるインフルエンザ対策の一つに、新しい薬品の開発がある。現在では、「タミフル」と呼ばれる薬品が効き目があるとして、世界中が競ってそれを備蓄している。日本も「タミフル」を貯めこむことばかりに励んでいる。
 しかし、そこには重大な落とし穴がある。「タミフル」は確かに有効に使えば威力を発揮する。「有効に」とは、インフルエンザ罹患後48時間以内に服用する、ということである。しかし、われわれは、自分がインフルエンザに罹患した時間を正確に判るだろうか。したがって、この薬品の投与は、ビタミン剤を飲むのとは違い、専門医による指示を必要とする。早すぎると薬効が消え、遅すぎるとウイルスが繁殖し、もう抑えることができなくなる。
 さらに副作用についての警告もある。日本では「タミフル」がすでに用いられているが、副作用と思われる症状がいくつか報告されている。そういうことから、たとえばカナダでは、「タミフル」の備蓄と同時に、それを患者に投与する専門医のネットワーク作りが進んでいる、といわれている。日本の場合、いわゆるハコモノだけを作って、ソフト面の充実を怠っているような気がする。
 もう一つの予防策として、ワクチン接種が勧められている。WHOが、春に前年の状況などを参考に今年流行すると思われるインフルエンザの種類を予測し、そのワクチンを準備することを各国に要請する。しかし、一つのワクチンに含められるインフルエンザは、せいぜい三種類であり、もし予想が外れたら役に立たないのである。

関東大震災の五倍の死者
 「スペイン・インフルエンザ」に際して、日本では直後の調査報告書で38万人、筆者が行った新しい推計では45万人の死者を出した。この数は、記録のある限り最大の病死者数である。罹患者数ははっきりしないが、おそらく当時の人口5500万人のうち、半分はかかっただろう。インフルエンザは恐ろしい病気であり、決して「風邪」ではない。人々は、これを「スペイン風邪」と呼んだこともあり、インフルエンザが通り過ぎると忘れてしまった。直後の関東大震災(死亡者は最近の研究で10万人くらい、と下方修正されている)は大正時代の出来事として皆知っているが、「スペイン・インフルエンザ」はその五倍近い人的被害を出しながら近代史のどの本にも出てこない。

現在でも防ぎようのない「天災」
 では、「新型インフルエンザ」に対してどうすればいいのか。個人レベルでは、どうすることもできない「天災」のようなものである。しかし、「スペイン・インフルエンザ」のときの教訓を学ぶことはできる。
 あの時、政府は極端にいえば、「手を洗え、うがいをせよ、人ごみに出るな」といった呼吸器病流行に際しての注意を喚起しただけだった。しかし、これらのことは、今でもわれわれがなし得る唯一の「対策」であることに変わりはない。90年近く前の「スペイン・インフルエンザ」流行当時、確かに医学、公衆衛生の知識は現在よりはるかに低く、有効な予防ワクチンも「タミフル」もなかった。しかし、それだけで現在のわれわれの方が有利な状況にあると言えるだろうか。
 いまやジェット機時代であり、昔は何日もかかって遠くからやってきたウイルスは、ほとんど同時的に世界中に広がる。国内でも、交通手段は、当時走っていた鉄道に比べれば何倍も速い新幹線や航空機がヒトもウイルスも一緒に運んでしまう。もはや距離は感染症にとって壁ではなくなった。さらにウイルスは、せきやくしゃみで吐き出された組織や飛沫の中で何分間か生き延び、それを吸った者が感染する。俗に言う「空気感染」である。満員の通勤電車やエレベーターで罹患者がせきやくしゃみをすれば、周りの者は全員感染してしまう。普通の風邪は、手で鼻をこすったりすることで感染する「接触感染」であって、この点でインフルエンザの伝染力は比較にならない。

日本を襲った三つの波
 ところで「スペイン・インフルエンザ」は日本に三回やってきた。
 第一波は大正7(1918)年5月から7月で、高熱で寝込む者は何人かいたが、死者を出すには至らなかった。これを「春の先触れ」と呼んでいる。
 第二波は、大正7(1918)年10月から翌年5月ころまでで、26.6万人の死亡者を出した。これを「前流行」と呼んでいる。大正7年11月は最も猛威を振るい、学校の休校、交通・通信に障害が出た。死者は、翌年1月に集中し、火葬場が大混雑になるほどであった。
 第三波は、大正8(1919)年12月から翌年5月ころまでで、死者は18.7万人である。
 「前流行」では、死亡率は相対的に低かったが、多数の罹患者が出たので、死亡数は多かった。「後流行」では罹患者は少なかったが、その5パーセントが死亡した。
 このように、インフルエンザは決して一年で終わらず、流行を繰り返し、その内容を変えている。来るべき「新型インフルエンザ」もそうだ、とはもちろん言えないが、このことはよく知っておくべきであろう。

人間同士が争っている暇はない
 十九世紀後半、人間は細菌を「発見」し、それが原因となる流行病をほぼ撲滅した。しかし、ウイルスが原因となる流行病はまだまだ解明されていない。人間同士の愚かな戦争はもう止めて、ウイルスのような「天敵」との戦いにもっと備えなければならない。

(はやみ・あきら/慶應義塾大学名誉教授)