2005年11月01日

『機』2005年11月号:日韓・日朝のはざまで 朴一

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ナショナル・インタレストの悲劇
 戦後処理、竹島(独島)問題、貿易摩擦など、韓日両国の紛争の種はつきない。ある韓国人が「一刻も早く戦後処理に決着を」と叫べば、ある日本人は「日韓条約で戦後処理は解決済み」と答える。一方、日本人が「竹島は江戸時代から日本の領土」と言えば、韓国人は「独島はそれ以前から韓国人が領有していた」と言い返す。さらに韓国人が「対日貿易収支が不均衡なのは、日本が韓国製品を買わないからだ」と対日批判をおこなうと、日本人は「日本市場で売れない製品しかつくれない」韓国の技術水準の低さを問題にする。
 こうした不毛の論争を通じて、日本人は嫌韓意識を募らせ、韓国人は反日感情を増幅させてきた。この論争に終止符を打つ方法はないのだろうか。もし日本で在日コリアンが共生社会を創造しようとするなら、まず祖国である韓国と在日が生まれ育った日本との間に横たわるこうした両国民の激しい対立感情をどのように溶解させていくかが、重要なテーマにならざるをえない。
 争点の根源はナショナル・インタレスト=国家利害である。竹島(独島)問題は、この島をどちらの国家に帰属させるかという論争であり、韓日の貿易摩擦は、韓日の輸出企業がどちらの国家により多くの利益をもたらすかという問題である。
 そのような意味で、戦後処理問題は国家利害が最も根強くからんだ問題である。韓国人が、従軍慰安婦問題に対して日本側の民間基金の受け取りを非難してきたのは、その典型的な顕れであるといえるだろう。日本国家によって凌辱された従軍慰安婦たちは、日本の民間基金ではなく日本国家によって償われるべき、というのが彼らの言い分である。この主張はとてもクリアーである。しかし残された時間が少なくなった慰安婦たちが生きるためにやむをえず民間基金を受け取ることさえも非難されるとしたら、これはヒトの命よりも国家の面子を優先した論理であると考えざるをえない。私は、国家としての補償を放棄した日本政府がその代わりに差し出した民間基金には決して賛成できない。しかしながらヒトの命よりも国家の論理が優先されるのは、もっとやるせない。ヒトは国家や国籍の呪縛から逃れることはできないのだろうか。

韓国人になりきれない在日韓国人
 先年、私は生まれて初めて長期間の母国留学をおこなった。母国留学は長年の夢だった。日本で生れ、日本で育った私は、できるだけほんまもんの韓国人に近づこうと思っていた。しかし韓国語の下手な私は、留学中ほとんどの韓国人から日本人と見做された。いくら「韓国人だ」と説明しても、韓国では韓国語のできない者は韓国人と見做されないのである。最初のうちは、言葉ができないため、よくごまかされることがあった。タクシーで、スーパーで、銭湯で、とにかく釣り銭をごまかされる。でも韓国人という誇りを失いたくない私は、最後までへたくそであっても韓国語で通そうとした。それに対する韓国人の反応は二通りであった。
「日本人なのに韓国語がうまいねー」
「韓国人なのになぜそんなに韓国語がへたなの」
どちらも屈辱的であった。言語障害あるいはコミュニケーション・ギャップによる摩擦と、在日韓国人に対する本国人の無理解は、ますます私をいらだたせた。
 私が客員教授として赴任した高麗大学には外国から来た教員のためのゲスト・ハウスがある。2LDK、家賃50万ウォン(当時のレートで七万円ほど)と条件も悪くない。私は早速、日本から来た他のプロフェッサーとともに申し込んだ。ところが私にはゲスト・ハウスは提供されなかった。責任者いわく、
「ここは、外国人教授の宿舎です。韓国人のあなたにはお貸しできません」
 韓国まで来て国籍条項の壁にぶちあたるなんて。私はついに切れた。ぶち切れた。
 ええーい、もうやめ。韓国人を演じ続けるのはやめ。国を背負うのもやめ。
 こう考えるようになってからあまりストレスも無くなり、体重も増え始めた。自分が韓国人になりきれない在日韓国人といなおることで、少しは重しがとれたようである。

日本と韓国のはざまで
 私は韓国で日本籍コリアンの問題を考えるようになった。母国留学生の中に何人かの日本籍コリアンの若者たちがいたからである。彼らの多くは、日本国籍を持ちながらも、コリアンとしての出自に思いをはせ、民族的アイデンティティを求めて韓国に渡ってきた者たちである。私は、彼らとよく国家や国籍、民族や出自について語り合った。彼らと話していて気づいたことだが、彼らには韓国人という気負いがない。もうひとつの祖国と肩肘はらず向き合っている、そんな印象を受けた。
 同じ日本国籍コリアンにも、彼らのように自らの民族的出自を求めて祖国に渡る者もいれば、自らの出自を隠蔽し民族から逃避し続けた人もいる。民族から完全に逃げとおせる人はいいかもしれないが、大部分の日本籍コリアンは、結婚や就職など人生の節目で得体の知れない民族の圧力をつきつけられるという。

「模範的日本人、新井将敬」の場合
 自死の途を選んだ新井将敬代議士の場合はどうか。彼は、少なくとも自分から主体的に民族的出自を語ることはなかった。十六歳で日本国籍を取得してから、最初に立候補した選挙で出自暴きがおこなわれるまで、懸命に「模範的日本人、新井将敬」を演じてきた。しかし彼が当選を果たすと、皮肉なことにマスコミは、彼の政治信条や理念ではなく、彼の民族的出自に注目した。そして彼は一躍「日本の国会に誕生した初の韓国系代議士」としてクローズアップされるようになった。
 ところが彼が「日韓新時代の象徴」や「国際社会日本の象徴」として騒がれるにつれ、逆に日本籍コリアンの彼に対する政界の風当たりは強くなっていた。同じ党の同僚から「日韓関係で摩擦が生じたら、いったいどちらの国益を優先するのか」といった批判がでたり、家族には「朝鮮のスパイ」といったデマが飛ばされることもあった。一時は「日韓のパイプ役を担いたい」と言っていた彼も、ある時期から日本の国際化を口にしないようになり、むしろ日本的美意識や日本国家の利益を力説するようになった。
 しかし彼が政治改革の旗手として模範的日本人を演じれば演じるほど、金権政治にひたりきった日本人代議士の彼に対するやっかみは強くなり、彼は党内で孤立していくことになる。彼の金融・証券スキャンダルが発覚したとき、だれも彼の行為を弁護する者はいなかった。皆が同じことをしているのにである。これは、はっきりいって「いじめ殺し」(栗本慎一郎「新井将敬の孤独死」『論争』1998年5月号)に近いものだった。


国家と国家の狭間で生きる
 結局は、新井将敬氏には帰属できる安住の場がなかったのではないか。模範的な日本人になろうとしたが、日本人としては認めてもらえず、祖国のパイプ役を果たそうとすれば「どちらの国益を優先するか」と責められる。彼は、日本も韓国も、さらに同胞社会からも孤立することで、最後の安住の地をあの世に求めたのかもしれない。
 悲痛な自死を遂げた新井将敬氏に対し、韓国で出会った日本籍コリアンの学生たちのあのさわやかさは何だったのだろうか。新井将敬氏と差があるとすれば、それは何か。まず韓国に留学してきた日本籍コリアンたちが自分から主体的にルーツ(出自)と向き合おうとしているとすれば、新井氏はいやおうなくルーツ(出自)と向き合うことを余儀なくされてしまったという点で、母国や祖国に対するスタンスが決定的に違っている。そしてこれが最も決定的だと思うが、前者が国家から相対的に解放されているのに対し、後者は明らかに天下、国家を背負って生きている。もちろん政治家の道を選んだ新井氏が国家を背負って生きるのは当たり前といってしまえば、それまでだが……。
 しかしそれでもなお、国を背負わずに生きていくことはできないのか。確かにノンポリの学生諸君にはもう少し国や国家のことを考えろと言いたいときもあるが、国家を背負い過ぎるのも厄介なものである。民族的出自を大切にしながら国家と国家のはざまで生きる、どちらの国益を優先させることもできないファジィな立場の人こそが国際紛争を回避できる平和の使者になれるのでは、と考えるのは甘い妄想であろうか。新井氏の死を無駄にせず、在日からそうした志を持った政治家や官僚などが現れれば、韓日の紛争も少しはやわらぐのではないか。
 本書『朝鮮半島を見る眼』は、そんな思いから、日韓・日朝のはざまで生きてきた著者が、祖国である南北朝鮮と自らのふるさとである日本との友好を願い書いたものである。少しでも日韓・日朝関係の修復と友好につながれば幸いである。

(パク・イル/大阪市立大学教授)
※全文は『朝鮮半島を見る眼』に掲載