2005年10月01日

『機』2005年10月号:細菌に関する総合的歴史書 寺田光德

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細菌の歴史はいつ始まるのか?
 常日頃からわれわれを脅かす感染症の元凶のひとつに細菌がある。ダルモンの『人と細菌』における最初の問いは、その細菌がいつ発見されたかである。 1876年にコッホが炭疽菌を分離し、それが炭疽の原因であることを証明する。これが最初か? コッホが成功させた病原菌培養を不問に付すとすれば、彼よりも先んじて1873年にはすでにクレープスがジフテリア菌を同定しているではないか?
 ところで現代的な「細菌」の定義は1879年のセディヨーをもって嚆矢とする。とすれば、「細菌」という用語を使わないでも、たとえば「種細胞」という語で指し示される細菌に等しい生態をした微生物の発見者がいるではないか。彼らこそ細菌の最初の発見者として遇されるべきではないか? それなら1858 年にはやくもパストゥールが乳酸酵素を分離している。いやそれどころではない。1748年にはイタリア人のスパランツァーニがすでに空気中の種細胞の存在を実験で証明している。そうしてオランダ人レーウェンフックが顕微鏡観察によって極微動物の存在を確認し、それを1674年に公表したという事実に行き着くのである。

細菌と人間の心性
 ところで細菌についても、出来事の羅列や同時代の先鋭的理論の紹介に終始しやすい医学者の手になる医学史に対して、ベテランの歴史家ダルモンの手にかかればその細菌が人間的事象としての相貌を明らかにする。たとえば細菌にまつわる神話の扱い。いつの時代にも神話は科学の同道者として、ときに科学の行く手を照らすこともあれば、反対に障害となることもあるからだ。
 伝染病の病因として「瘴気説」は19世紀の半ば過ぎでも圧倒的な支持を得ていた。当時は化学の成分分析に基づいて瘴気の働きを明らかにすることこそ病因論における最先端の研究だったからである。それに比べれば、病気は動物が持ち運ぶという、常識に一番訴えやすい、昔からあるアニミズム的な考え方は、いかに旧弊に見えたことか。だが微生物理論として凱歌を上げたのは、結局古くからあるこの神話の方だった。
 それと反対に理論的にはすでに失効していた生命の「自然発生説」神話はどれほど強靱だったことか。それを信じて疑わない学者たちの迷妄をうち砕くために、あのパストゥールが高山の空気を採取しようと自ら多量のフラスコをアルプスの山上まで持ち運んだことなど、今ではだれが想像できよう。
 こうして、レーウェンフックの顕微鏡観察による実質的な細菌の実証研究から細菌学の確立にいたる200年間の「前史」と、それから病原菌としての細菌発見や細菌理論の公衆衛生分野への実践的適応を中心とする150年間の「正史」記述をするにあたって、ダルモンは長期の展望や、神話を含めた同時代の人々の集団的心性と、医学および公衆衛生学をはじめとして顕微鏡や都市計画まで、細菌に関するあらゆる分野を視野に収めた総合性をも手離そうとしない。その意味でこの大部な『人と細菌』は、フランスの歴史学の流れに棹さす、細菌に関する希有で、文字通り総合的な歴史の書となった。

(てらだ・みつのり/熊本大学教授)