2005年05月01日

『機』2005年5月号:空を飛ぶ夢の軌跡 和田博文

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気球、飛行船から飛行機へ
 人間は古来から、鳥のように空を飛ぶことを夢見てきた。世界で最初に気球飛揚を成功させたのはフランスのモンゴルフィエ兄弟で、1783年のことである。気球の発明自体は古いが、風向きや気流に頼るしかないので、自由に飛行できるわけではなかった。1900年になるとドイツのツェッペリンが、アルミニウム合金で船型を形成した硬式飛行船を、初めて自力で飛行させる。アメリカのライト兄弟が飛行機の初飛行に成功するのは、それからさらに三年後の1903 年のことである。
 一九世紀の初頭にシベリアに漂流した日本人は、ロシアのペテルブルグで気球を目撃したらしい。しかし気球などの空の乗り物を、日本が貪欲に吸収するようになるのは、鎖国を解いてから後のことである。西南戦争が起きた1877年には、国内で気球が製作され、大勢の人々が試揚を見物した。アメリカのハミルトンが来日して、軟式飛行船の興行を上野で行うのは1909年である。その翌年には徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が、フランスとドイツから持ち帰った飛行機で代々木練兵場の空を飛び、日本での飛行機の歴史をスタートさせた。

世界を編成し直した飛行
 しかし本書『飛行の夢』が明らかにしたいのは、飛行の歴史ではない。それに寄り添うように歩んだ、飛行の言説を通して、日本近代を貫くモダニズムを問うというのが本書のテーマである。想像力は時代に先行して、言葉や図像で飛行のイメージを獲得していく。たとえば1880年代の日本では、ジュール・ヴェルヌがブームとなる。19世紀のヨーロッパの科学に基づく空想科学小説を読みながら、読者は気球やロケットの冒険譚を楽しんだだろう。また世界未来記に描かれた未来社会像には、必ずと言っていいほど飛行機が登場する。
 20世紀はそれらのイメージを次々と実現していく時代だった。飛行機がもたらしたものは利便性だけではない。冒険家の大洋横断や世界一周は、大衆を動員できるエンターテイメントだった。郵便飛行や民間航空路線の開設は、時間や空間の意識を大きく変容させている。地上を見下ろす視線の成立は、視覚の世界認識を変えた。飛行機の空気抵抗を減らす流線形は、やがて美意識の対象となっていく。飛行は、世界を新たに編成し直す装置だったのである。

死を用意したモダニズム
 欧米の気球・飛行船・飛行機を、日本が貪欲に吸収したのは、飛行の夢のためだけではなかった。1870年の普仏戦争で軍事視察員としてプロイセンに従軍した大山巌は、フランスの気球を目撃する。日本が初めて気球を実戦で使用するのは、彼が満州軍総司令官を務める三十四年後の日露戦争においてである。欧米の列強は19世紀の末までに世界分割(植民地化)をほぼ完了し、20世紀前半の世界再分割の時代に入っていった。飛行船や飛行機は、世界地図を塗り替えるための重要な役割を担ったのである。
 技術革新はより大きな破壊力を生み出すから、帝国主義とモダニズムは緊密に結び付いている。明治・大正・昭和戦前期の日本は、莫大な費用を投じて気球・飛行船・飛行機の開発に取り組んでいった。第一次世界大戦下の青島で初めて飛行機を参戦させた日本は、第一次上海事変での最初の空中戦を経て、日中戦争~大東亜戦争に多くの飛行機を投入する。爆弾を投下された地上の人々や、機上の飛行士を、死は大きな口を開けて呑み込んでいった。
 飛行の言説は、鳥のように空を飛ぶことを夢見ながら、日本近代のモダニズムと共に歩んだ人々の、様々な物語を語りかけてくる。


(わだ・ひろふみ/東洋大学教授)