2005年04月01日

『機』2005年4月号:不思議の世界の語り部 持田明子

前号   次号


子どもたちのために捧げた最後のペン
 結婚制度や社会の偏見の〈鎖〉に繋がれた女性の隷属状態からの解放を求め、情熱を賛美する『アンディアナ』で文壇に登場したサンドは、四十数年に及ぶ創作活動で、小説、戯曲、自伝的著作、芸術的・政治的評論等々、多様なジャンルで百余の作品を発表した。この豊穣な創作の最後のペンを――長い人生で得た深い叡知を湛えた繊細なペンを、子どもたちのために捧げた。
 『わが生涯の歴史』でサンドは、幼い日々、母の語る不思議の世界に、あるいは、夏の夕べに麻打ちたちが仕事をしながら語る民間伝承の幻想の世界に、どれほど夢中になって耳を傾け、心を奪われたか、鮮やかな筆致で浮かび上がらせる(第二部)。そして「ルソーが虚構を口実に、不思議の世界を抹殺しようとすることにはまったく賛成できない。理性や疑念は遅からず、おのずと生じるものだ……子どもの生活から不思議を抹消すること、それは自然の法則に反するやり方だ……子どもがそれを愛し、求めている限り、与えて欲しい」とも、「その後の知的生活で、想像の世界を駆け巡ったこの最初の喜びに匹敵するものがあるとは思われない」とも書く。
 また、晩年の1872年、文字を学び始める子どもたちの教育方法に関する論文「ある小学校教師の考え」を『ル・タン』誌に発表し、「我々は常に先を急ぎ過ぎている。知的・精神的全将来の鍵である、非常に大切な最初の教育に対して、私はこのことをどれほど繰り返しても飽きることはない」と述べている。

祖母たちに語り継がれる物語
 人格の形成にとってきわめて重要な子ども時代にふさわしい作品が極端に欠如していると考えてきたサンドは、ノアンの城館に共に暮らし、こよなく愛した孫娘たち、オロール(愛称ロロ、1866年生まれ)、ガブリエル(ティティット、1868年生まれ)のために、1872年から75年にかけて、『ピクトルデュの城』、『ばら色の雲』、『勇気の翼』、『ものを言う樫の木』、『巨岩イエウス』など十三の物語を執筆した(1873年および76年に、『祖母の物語』第一部、第二部に収められる)。主人公は多くの場合、聞き手の子どもたちが大喜びで一体化する子どもだ。
 家人が寝静まった夜半にペンを走らせ、その翌日、ロロやティティットを中心に家族の団欒の輪の中で、祖母=サンドが語り部となる。たとえば1875年8 月17日には、「ロロに注文され、昨晩書き上げた、犬のファデの物語(『犬と神聖な花』)をロロに朗読」と『備忘録』に記している。
 幼い日に味わった無上の喜びを今度は自分が孫娘に与えようとするサンドの姿に、連綿と続く人々の歴史の中でいつの時代からか土地に深く根ざした話を伝承してきた祖母たちが重なる……。

心に播かれる勇気の種
 サンドの語る物語は、たわいない気晴らしの話ではない。不思議の物語がどれほど聞き手の子どもたちの精神の滋養となり、そこに込められた叡知が子どもたちの心にどれほど巧みに滑り込み、しっかりと根を張るか、語り手サンドは知悉している。妖精や巨人が登場する不思議の世界に引き込まれた幼き者たちに、木々や花々のおしゃべりを聞くことのできる子どもたちに、人間にとって最も本質的なこと――自己と他者、神、生と死、正しいこと、働くことの大切さ……が優しく囁かれる。様々な試練や苦しみや悲しみが待ち受けている現実の世界に立ち向かう勇気の種が、子どもたちの心に播かれる。
 パリの国立図書館には、重ねられた多くの版にまじって、第二次大戦勃発の年、粗末な紙に印刷された挿絵入りの版が所蔵されている。

(もちだ・あきこ/九州産業大学教授)