2005年03月01日

『機』2005年3月号:ゴッホへの大いなる弔い 三浦篤

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なぜゴッホが関心を惹くのか
 かりに現在ある画家の展覧会を開催するとき、もっとも多くの観客を集めるのはどの画家かと問われるならば、私は迷わず「ゴッホ」と答える。モネもルノワールも大きく引き離して、圧倒的な数の観客を会場に来させるのは間違いなかろう。むろん、このこと自体は卓見でも何でもなく、多くの人が薄々感じていることである。問題は、なぜとりわけゴッホがこれほどまでに、人々の関心を惹くのかというその根本的な理由の方だ。ここに日本語版を刊行するナタリー・エニックの著作『ゴッホはなぜゴッホになったか』(原題『ファン・ゴッホの栄光』)は、芸術社会学の立場からこの問いに真っ向から答えようとした本格的な研究書である。ゴッホの特権的な栄光をわれわれはどのように理解すべきか。

聖なる犠牲者としての近代芸術家
 生前無名であったゴッホの作品は、死の直後に批評家たちからほとんど全員一致で認められたのだが、一世代後には、ゴッホの生涯そのものが社会の無理解というモチーフの上に築き上げられた聖人伝説に変貌し、その後さらに画家は聖なる犠牲者、「偉大なる単独者」として賛美の対象となって今日に至っている。エニックは、ゴッホのこうした英雄化のプロセスを「逸脱」「刷新」「和解」「巡礼」という伝統的な聖人伝の構造と相同的なものとして捉える。と同時に、共同体の規範の尊重から個人の特異性の称揚へと価値評価を変える、近代芸術のパラダイム転換という歴史事象を重ね合わせることによって、宗教的な投資を受けて典型的な近代芸術家神話と化したゴッホの事例を見事に浮き彫りにしていく。
 最終的にエニックが提起する仮説の刺激的なところは、この現象がただ単に芸術家の「神聖化」には還元できず、偉大なる犠牲者としての芸術家への罪障感に裏打ちされた贖いの行為こそが、現代社会に見られるゴッホ崇拝を支えていると解析した点にある。ゴッホの作品が異常な高騰を見せ、その回顧展に膨大な数の観客が巡礼し、終焉の地で聖遺物崇拝に近い感情がわき起こることになるのは、まさにそのためだと著者は言う。易しく言えば、ゴッホの超人気はゴッホへの大いなる弔いだというわけだ。このように、本書はゴッホ神話という事例の分析を越えて、芸術が疑似宗教と化した近代特有の文化現象の解明へとつながる射程をも含んでいる。芸術研究の今後のために、敢えて翻訳したゆえんである。

ポスト・ブルデューの仏芸術社会学
 著者のエニックは、国立科学研究センター(C.N.R.S.)に勤務する気鋭の芸術社会学者である。ピエール・ブルデューの批判社会学から受けた方法論的な刺激を芸術研究に適用し、西洋の歴史において「芸術家」がいかなる社会的、制度的な条件下で存在し、どのように受容され、位置づけられたのかという問題について一貫した関心を有している。美術史学、社会学のみならず宗教学、人類学、精神分析、経済学など、人文科学、社会科学の知を総動員してなされる力業とも言うべき分析の手際は本書を読んでのお楽しみだが、統計的な調査や批評の引用など資料的基盤にも手抜かりはない。ブルデュー以後のフランス芸術社会学を担う旗手として、その評価は確立しており、本書もすでに英訳されている。最近では、現代美術論、フェミニズム社会学へと研究領域を拡大しつつある彼女の動きから当分目が離せそうにない。

(みうら・あつし/東京大学助教授)