2005年03月01日

『機』2005年3月号:ひとつの時代にしばられないかれら 鶴見俊輔

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 藤本敏夫は本を読む学生であり(こういう学生は少ない)、魅力のある学生だった。
 下獄する前の日に私の家をたずねてきて、
 「明日下獄します。もっと勉強したかったですね」
と言った。
 下獄している間に学生運動は内ゲバを深め、獄中で彼は自分の生きる道を考えた。運動の指導者は、そのときトップの位置に押し上げられることによって、そのときの目標しか見えなくなるが、彼は遠くまで時代を見る力をもっていた。出獄してから彼は、納豆をつくり、ヨーグルトをつくり、野菜をつくり、農業を広く生活の一部に取り込む新しい形の設計を考えた。トップのリーダーが、トップである一つの時代にだけ適応する人となるのではなく、苦しい転換期を切りひらく構想をもつ人となった。
 大学から彼のところに、卒業の条件を交渉に行った。彼は、自分との結びつきが機縁となって退学した人がいるとき、自分が卒業することはできないと言ってことわった。生活のかわり目ごとに彼の残した言葉は消えない。東大生歌手・加藤登紀子が獄中の彼と結婚したとき、「知床旅情」で名前だけを知っていた私は、この人は、人間についての目利きだと思った。

(つるみ・ゆうすけ/政治家)
※全文は『〈決定版〉正伝 後藤新平 ③台湾時代』に収録(構成・編集部)