2005年02月01日

『機』2005年2月号:聖地アッシジの対話 J・ピタウ+河合隼雄

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 自らの夢を『夢記』として書き残し、深い宗教的境地に達した鎌倉期の名僧明恵と、自然を愛し貧しさの中に真の価値を見出した聖フランチェスコ。 800年前の同時代に生きたこの二人の宗教者の類似性をきっかけに、ヴァチカンの大司教と日本人のこころを知悉する心理学者が、聖地アッシジで出会い、「諸宗教間の対話」の重要性について語り合う。(編集部)

根源に直接向かう
河合 私は、聖フランチェスコが祈りに専念して、そのあいだに見たヴィジョンとか、そのあいだに聴いた声とかいうのと、明恵の夢というのは、ほとんど同じと思っていいのではないかと思います。これはまさに体験したことであって、考えたことではない。本当に見えるし、本当に聴こえる。われわれがそういう世界に近づいていくと、眠ってしまうけれども、その時に眠らずに、ずっとその状態にいることができて、非常に深い体験をしている。このへんは、聖フランチェスコと明恵との体験は、すごく似ているのではないか。
 聖フランチェスコの場合は、キリスト教だけれども、バイブルに書いてあることだけではなくて、そのころいろんな神学論争がありました。たくさんの論理とかセクトとか、そういうのを全部とばして、ただ、本当に受肉して、人の形をとって現れた神という、それとの関係だけにずっとまっすぐに行って、そこからいろんなことが出てくる。明恵の場合も、そのころはいろんな仏典とか仏教宗派とかがあった。明恵は、仏陀という人に対する帰依だけが中心になっている。そこに直接に向かったところから出てきたという点で、すごく似てきたのではないかと私は思うんです。
 また、鎌倉時代というのは、仏教の改革者がいっぱい出てくるんです。親鸞とか、法然、栄西、日蓮、どんどん出てくるわけです。と言うのも、日本に仏教が入ってから、鎌倉時代ぐらいまでに相当堕落してくるわけです。そういう中で、明恵はそこから離れていくわけですけれど、その時に改革者にはならないんです。
 その当時、キリスト教でも、改革しようとする人が出てきますね。そういう人たちはキリスト教会を離れて改革しようと。ところが聖フランチェスコは、カトリック教会の中にあって、自分の生き方をする。明恵も仏教の伝統の中に入ってやっているという点がそっくりなんです。考え方としてはすごくラディカルな面をもっているのですが、いわゆる改革者にはならないのです。

自然と「もの」に対して
河合 そして、自然に対する態度、あるいは動物とか生物に対する態度が非常に似たところがあります。聖フランチェスコは鳥も寄ってくるとか、狼に説教するとか、非常に動物と親しい。明恵の場合も、いっぱい鳥が飛んできたり、犬が寄ってきたり。これはめずらしいんですが、高山寺には、犬の置物もあるし、鹿も馬もあります。つまり仏さんの乗物ではなくて、ふつうの動物の彫像があるところというのは非常にめずらしい。それは明恵が作らせたのではないかと思うのですが、聖フランチェスコの場合は、神のつくりたもうたものとして、兄弟だという考え方です。
 そういう自然とか、「もの」に対する態度が、とくにいまは時代的に見直されていますね。聖フランチェスコの自然に対する態度が、自然をコントロールするとかいうのではなくて、同じ被造物として見ていこうと。明恵の場合もそういうところはあると思いますが、聖フランチェスコの方が、それがもっと言われているだろうと思います。

二つの世界のつながり
ピタウ フランチェスコがここアッシジに住んでいたころは、イタリアの変化の時代でした。都市国家が現れ、商売が盛んになりました。そして大学の時代でもあったと言っていいと思います。精神的な世界も残っていて。しかし反面、科学あるいは学問の世界もいっしょに成り立っていました。そこにフランチェスコが現れたのです。聖フランチェスコにははっきりと宗教的な世界があり、超自然的な世界があって、ある意味においてこれ以外の部分は捨てるべきであると考えていました。本当の意味はこの世界にはないと考えていたんです。
 彼にとっては、超自然の世界が本当の世界です。もちろん周りの世界も認めるのですが、すべては神様によって創造されたもので、すべてのものは兄弟と姉妹であると考えていました。シンボルと言いましょうか、彼はすべてのものの中に神的なものを見ていました。なぜかと言うと、永遠の神はこの地上のものを私たちのためにお創りになったのですから。超自然の世界に比べて、地上は下の世界と言えましょうが、しかしそこにも神的なところがあるのです。彼は神様と地上のものの間にあるつながりを見ています。神様と地上のものは、離れたものではなく、神は今でも、ここにいらっしゃって、すべてのものに意義を与えている、と考えていました。
 現代的な私たちはその二つの世界を切り離して、そこにつながりを見ていません。しかしこの点がフランチェスコの一番すばらしいところだったと思いますが、彼はすべてのものに神的なところがあり、そこにこそ本当に存在の意義があると考えていたんです。

フランチェスコの現代的意義
ピタウ そしてそれは、すぐ平和の問題につながります。フランチェスコは、すべての人間は神から創られたものですのに、どうしてお互いに戦争をやっているのか、戦争をしても意味がないのではないか、と考えます。
 私たちは、物をもつ喜びしか考えていません。親たちは子供たちに物を与えますが、自分たちを与えることはしません。フランチェスコによれば、全部捨てなくてはなりません。彼は、本当の喜びは所有にはなく、かえって人に与えるところに喜びがあり、もう少し質素にして、もう少し物を捨てることによって喜びが得られると考えたのです。そこにたぶん、明恵上人といろいろ同じ点があると思います。彼にとってはキリストが模範でした。キリストが貧しさを選んだのだからこそ、自分も貧しくならなければならない、そしてそこから本当の喜びが生まれる。
 彼はもちろん、当時の教会の実状を見て、それに反対しているのです。しかし、教会の外に出て新しいものを作るといった誘惑は一度も感じませんでした。司教とか枢機卿などは腐敗していたかもしれませんが、彼はいつもかれらの持っている正当な権威を認めるのです。そして彼らと協力します。社会を改革するために、その社会を破壊して、まったく新しいものをつくる、ということをしませんでした。その中から新しい精神をつくりあげるということを考えるのです。教会を立て直すためには、教会の内側からその精神的なものを盛り上げなければならない、と思っていました。そこは明恵と同じだと思います。
 改革を遂げるためには、ひとりではなくて、共同体を作らなければなりません。自分が一番小さいものとなって、みんなと協力するのです。これがフランチェスコの考えでした。それは仏教にもよく見られます。彼は祈っているとき、キリストの声を聞きました。そして、キリストのことばにしたがって、いまの教会を立て直したいと思ったんです。
 フランチェスコは日本人の心にも一番近いかもしれません。自然と平和を愛する心、そしてその神秘的な背景などです。キリスト教と仏教には、その伝統において近いところがあると思います。その点で協力できればすごくありがたいですね。

(Joseph Pittau/カトリック教会大司教)
(かわい・はやお/文化庁長官)
※全文は『聖地アッシジの対話』に収録(構成・編集部)