2004年12月01日

『機』2004年12月号:「ほんものの人間、ほんとうの歴史」 鶴見俊輔+岡部伊都子

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「学歴はなくて、病歴がある」
鶴見 岡部さんの著作の中で「自分は学歴はなくて、病歴がある」という文章があって、ああ、これは名句だと思ったから、ずっと覚えているんです。病歴というのは学歴にまさる力をもつと思うんです。それは、じっと寝てると、自分の中の自分との対話ができてくるわけ。人との対話と違うし、世の中についていくというのと、ちょっと違うんですね。自己内対話という積み重ねが加わるでしょう。それが自分の精神をつくってるんですね。
 いや、私は学校へ行ってないことが自慢なんですよ。だけど問題にならないですね。岡部さんの方が……。

岡部 病気ばっかりしてましたよってな。もうちいちゃい時から、この子、もう死ぬやろうて、みんなが楽しんではって。

鶴見 学校はね、先生が問題を出すでしょう。それに、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、一番先に先生の心の中にある答えを読める人が一番なんです。
 病気を養っている子どもというのは、病気というのはもうひとつ別の時間なんですよ。別の時間でこの時間、この世を考えていますからね。しかも自己内対話をしているから、違う時代のこともいろいろわかるわけでしょう。おもしろいですよ。

岡部 そうですね。ですから病気でずっと寝ててもね、ちっとも退屈しなかった。

「日本文学の頂上、在日朝鮮人」
鶴見 それに非常に近い環境の人を、いまこの日本の島の中で求めると、在日朝鮮人なんですよ。金達寿のように、暮らしのためにクズ屋、仕切り屋をやるわけですからね。その中での日本語の鍛え方ってぜんぜん違うんですね。
 在日朝鮮人は七十万人いる。日本の人口の中では小さいんだけれど、まったく独特の日本語を作り、独特の考え方、自己内対話を積み重ねているんです。だから強いですよ。日本語文学を、この百五十年のを見ると、一つ独特のもので、一つの頂上を作っていますね、在日朝鮮人は。

岡部 残酷な残酷な日本のやり方で……。

鶴見 だから怨みがあるから、怨みは簡単に消えるものじゃないから、動機になってくるんですよ。そのことが、この百五十年の日本人にはわかってないんです。

岡部 わからなあかん。

鶴見 いまだってわかってないんです。
 平和憲法というけど、平和憲法を支えようという動機が、自然に自分の中にある日本人がどれだけいるか。本当に自分の中にそれをもっているのは、戦争になったら困ると思っているのは、在日朝鮮人でしょうって言ったんです。そうしたら十数人の知識人、みんな京大出ですよ、ものすごく反発するんです。

岡部 韓国でも日本が戦争せえへんか、そればっかり話してはるの。

鶴見 在日朝鮮人にとって、戦後、どれだけ恐ろしいことが起きたか。彼らは自分の体の感じで平和憲法を支持する立場なんです。そのことを言っても、京大を出てるインテリがわからないんだからな。日本の知識人というのは、国家のつくった知識人なら、もうだめ。ことに大学なんか出てるやつはだめです。私は小学校しか出てないから、まあいいんだ。

岡部 韓国に行ったとき、私が下手な話をしたら、あとで質問をくれはりますねん。天皇をどう思いますかと。

鶴見 いまの天皇は、自分の祖先に朝鮮人がいるということを、はっきり言ったんです。だからいまの天皇個人の思想というものは、なかなかのものですよ。平安京の場合、恒武天皇の母親は朝鮮から来てますからね。
 天皇制そのものはけしからんものですよ。いまの天皇の父親には戦争責任があると、私は思っています。だが、個人として見ると、現在の天皇、皇后はそうとうの社会思想をもってますよ。

「原爆なんて問題じゃないよ」
鶴見 アメリカの大統領は文明を世界にしこうと思って、世界文明の源流であるアフガンとかイランまで行って、最古の文明を破壊してるんだからね。あれはものすごく痛烈なマンガになっていることが、自分でわかってないんだよ。しかもアメリカという土地にだって、それもマンガになっているんだ。あの白人が行く前に、日本やなんか通って、あそこに行ったんですからね。それがいまの先住民なんだから。彼らは長詩を書いている。その一節でいえば、「今日は死ぬのにいい日」。これはすごいですよ、この一行は。すばらしい詩ですよ。そういうことの意味とか重さが、大統領はわかってないんだ。自分が文明だと思っているから。文明というのは、結局、原子爆弾だとか大砲だとか、ミサイルだと思っているんだ。
 しかしそんなものができる前に寒山はいたんだ。「氷と水と相損なわず」。これですよ、人間が生きることの意味は。原爆なんて問題じゃないよ、そんなもの。それが文明だと思っている、愚かな愚かな大統領よ、という感じだね。その中にくっついて、客員教授なんかにしてもらってワイワイやってる日本の大学なんて意味ないよ、あんなもの。

岡部 日本の政府がアメリカの尻尾についとるんです。

鶴見 学校の成績のいい人を大臣にするようになってから、もうだめだね。成績というのはね、先生の答えを早めにパッととらえるだけのことなんで、そんなたいしたことじゃないんだよ。自己内対話で自分の見識を養った人はそれとちょっと違うんだもの。

「私は、戦争に加担した女です」
岡部 私は、残念なことに戦争に加担した女です。敗戦までは、みんな戦争支持で、天皇陛下のために死ね死ねという教育でした。だからそれが骨身に染みてる。私の一年上やった木村邦夫いう人、私はなんや小さい時から、その人がしゃんとしてて、ええ人やなと思うてたんですけど、見習い士官になってはった。
 彼と婚約して、はじめて私の部屋へ入ったとたん、邦夫さんはちゃんと襟を正して、「ぼくはこの戦争に反対です」いうて言いやって、私、びっくりしてな。そんな言葉聞いたことおまへんやん、それまで。「自分はこの戦争には反対です。こんな戦争で死にたくない。天皇陛下のためになんか死にたくない。君やら国のためになら死ぬけれど」。こっちはわかれへん。なんでそんなこと言いやるのかわかれへん。ぜんぜんそれまでものがあんまり見えなんだ時代でしょう。「私やったら喜んで死ぬけど」と言うた。なんという残酷なことを言うたかなと、いまになって、ずっと、邦夫さん、ごめんやで、ごめんやで、言いつづけてますけどな。
 私はいまでも、ほんとに邦夫さんに申しわけない。そやから私は、自分のことをずっと、あんなに戦争はまちごうてるいうた人、殺してしまった、加害の女やと思うてます。ほんまにあんなに戦争はいややというた人が人殺しをせんならんのが戦争でっせ。
 その彼が、配属転換で連れて行かれたんが沖縄です。米軍が上陸してきて、艦砲におうて、両足吹っ飛ばされて、で、ピストル出して、すぐ自決したそうです。
 沖縄は、いまでもひどいひどい扱い受けてまっせ。米軍基地いっぱいやん。そこからまたイラクへも行きよんねん。いややいうてはんねん、沖縄の人は。ここを戦場基地にせんといてほしいと。そやけど米軍は離れよらん。それをさしてるのは、日本の政府ですわ。どないしたら日本はまともな考えの政治をするのかなぁ。

鶴見 ……。あとは継げないね。あとを継いで話をするのはむずかしい。うーん、いやあ、まいるな。

「自分を支える考えにぶつかる」
鶴見 女がひとりで老いて生きていくという方が、いまの日本では強い立場に立つと思うんですよ。というのは、自分の身の回りの世話をすることを、訓練をずっと長い間積んでいますからね。ひとりで生きるということは、ずっと強いんですよ。問題は、ことに組織の中で保護されている人間は、ものすごく弱いんだ。だからこれからもし日本に、いまの国家みたいにアメリカにくっついていけばいいというんじゃなく、きちんとした反戦運動ができるとしたら、女から起こるしかないと思います。
 私は、戦争をずっと通ってくると、自分をどんな時にでも支えられる考えというのは、ぼんやりした考えなんです。はっきりして、テストできる、論理的に明晰な概念が自分を支えるものじゃありません。どういう場合にあっても、戦争反対の立場で死にたいと思っていますから、それはいまのぼんやりした考えに連続的につながっているものなんです。これは明治以後の日本の教育制度がまさに消した考えなんです。強い人間、ひとりで立てる人間は、むしろ明治以前にいたんですよ。学校を秀才で上がってくる人間が、たよりになるというのは、これはまちがいです。私の言いたいことの中心は、ぼんやりした、しかし自分を支えられる考えにぶつかるということです。それをもってる人は、いまの日本人には非常に少ない。

(構成・編集部)
(つるみ・しゅんすけ/哲学者)
(おかべ・いつこ/随筆家)