2004年09月01日

『機』2004年9月号:脱商品化に向けて I・ウォーラーステイン

前号   次号


 1999年の講演で、私は世界の左翼の現状を次のように要約した。

(1)世界の資本主義システムは、五百年間にわたって存続してきたが、いまや初めて、真のシステムの構造的危機にあり、われわれはシステム間移行の時代にある。

(2)その帰結は本質的に不確実であるが、それにもかかわらず、この五百年間で初めてシステムの根本的な変化への現実的な展望が生じた。その変化が進歩的なものとなる可能性はあるが、必然的にそうなるとは限らない。

(3)この局面における世界の左翼の第一の問題は、19世紀に展開してきた世界変革の戦略がもはや失効しており、これまでのところ、全般的な緩い後退状況のなかで不確実で弱気な行動に終始している。

 右の諸前提から引き出せる第一の含意は、われわれ左翼は決してグローバルに敗北を喫しているわけではないということである。ソ連の崩壊は、世界の左翼の破滅ではない。ソ連の崩壊によって、もはや有益ではなくなってしまったレーニン主義の戦略とレトリックという劫罰から、われわれ左翼は全体として解放されたばかりか、世界の自由主義的中道派に対し、彼らが実はレーニン主義運動から得ていた構造的な支持を除き去ることによって、大きな重荷を課すことになった。自由主義的中道派にとっては、レーニン主義運動の存在がレーニン主義的開発主義の恵みに対する信仰を通じて「輝ける明日」を保証してくれたおかげで、長らく大衆の過激主義を抑制する機能を果たしてくれていたからである。
 また私は、新自由主義のグローバルな攻勢やいわゆるグローバリゼーションが、われわれの可能性を圧殺してしまうとも思わない。その多くが誇大広告であって、来たりつつあるデフレのあとには跡形もないだろうからである。そして、それが反作用を生み出すだろう(すでに生み出している)からであり、世界資本主義は、実際のところ、構造的におかしくなってきており、「ニューエコノミー」を享受するどころではないからである。
 私は、オルタナティヴな戦略の着想をさらに発展させうるいくつかの方向性を示唆したい。

1 ポルト・アレグレ精神を拡大する
 ポルト・アレグレ精神とは何か。それは知的明晰さと、人々の生活に直接に益をもたらすと考えられるような大衆動員に基盤を置く戦闘的行動、そして長期的で、より根本的な変化を求める議論の試みを推進する、世界の諸々の反システム運動を非ヒエラルキー的に統合するものである。ポルト・アレグレ精神には三つの決定的に重要な要素がある。それは、緩い組織であり、ジェシー・ジャクソン師の言う「虹色の同盟(レインボー・コアリション)」に多少とも近いものである。それは、世界規模で、「南」からの運動と「北」からの運動を統合する組織である。それは知的にも、政治的にも戦闘的である。

2 防衛的な選挙戦術を用いる
 もし世界の左翼が、緩く組織だてられた、議会外の戦闘的戦術を行えば、これはただちに、選挙過程に対するわれわれの態度の問題を提起する。事態は前門の虎、後門の狼である。一方には選挙が決定的に重要であると考える発想があり、他方には選挙などまったく意味がないと考える発想がある。選挙は、〔運動によって〕獲得された利益への攻撃から世界の大衆のさしせまった必要を守る上で不可欠な装置だからである。世界の右翼が世界の諸政府を支配することで大衆に与える損害を最小化するために、選挙は戦われなければならない。しかしながら、これによって選挙戦術は純粋に実用上の問題となる。しかし、全般的な方向性を決めるルールは、「虹色の同盟」――フランスで流通している言い方ならば「多元的左翼」、ラテンアメリカでの言い方では「拡大戦線(フレンテ・アンプリオ)」――でなければならない。世界の左翼には、多くの異なる党派的・派閥的伝統がある。国政選挙が実用上の問題である以上、実用上の意味を持つ51パーセントの獲得を目指して、そういった伝統を尊重する同盟を形成することは決定的に重要なことである。

3 民主化をたえず推し進める
 あらゆる地域で、国家に対する最大の国民の要求は、「より多く」――より多くの教育、より多くの保健、より多くの生涯所得の保証――ということである。こういった要求にこたえることは人々の生活に対する直接的な益をもたらす。そしてそれは、無限の資本蓄積の可能性に対する圧迫を強めることにもなる。こういった要求は、声高に、持続的に、あらゆる場所で推し進められるべきであり、いくら要求しても要求しすぎることはない。大衆運動は、みずから選んだ中道左派政権に対しても、それらの要求を緩めるべきではない。親近感のもてる政権にさらに要求の圧力を加えることは、右翼の反対勢力を中道左派寄りにする圧力ともなる。民主化の一般規則は「より多く、さらに多く」である。

4 自由主義的中道派にその理論的選好を実現させる
 自由主義的中道派は、自分たちが言っていることを本気で意図していることも、自分たちが説いていることを実際に行うことも、ほとんどない。自由主義的中道派がレトリックを弄して、自らの主張のコストを払わずに利得だけを得ているのを放置するなということである。さらに、中道派の意見を中立化する真の政治的方法は、その利害ではなく、理想に訴えることである。そして中道派を構成する諸主体の利害ではなく、理想に訴える方法は、彼らのレトリックをそのまま要求することである。われわれが常に念頭においておくべきことは、民主化の利益のかなりの部分は最貧層には届かないということである。最貧困層のコミュニティを動員して、彼らが有する法的権利の利益を全面的に享受させるべきなのだ。

5 反人種主義を民主主義の規定的手段とする
 民主主義は、万人を平等に――権力について、分配について、個人の実現の機会について――扱うことである。人種主義は、権利を持つ者とその他の者、つまり権利を持たないか、より少なくしか持たない者とを区別する第一の様式である。人種主義は、既存の世界システム全体に浸透している。この星のどこにも、人種主義のない場所はなく、ローカルな規模の政治、ネイションの規模の政治、世界の規模の政治のいずれにおいても、その中心的特徴として人種主義がない場所はない。

6 脱商品化に向けて行動する
 資本主義システムの決定的な欠点は、私的所有にあるのではなく、商品化にある。商品化こそが資本の蓄積において不可欠の要素なのである。今日でさえ、資本主義的な世界システムは完全には商品化されてはいない。そうしようとする努力はなされているにもかかわらず、である。しかし、われわれはそれとは別の方向に進みうるのだ。大学や病院を営利機関に転換するのではなく、どうしたら製鉄所を非営利機関――すなわち誰にも配当を支払わない自己維持的な組織――に転換できるかを考えるべきなのである。これこそが、より希望のある将来の姿であり、それは実際いますぐにでも始めうることなのである。

7 われわれが既存の世界システムからなにかしら別のシステムへの移行期を生きていることをつねに忘れない
 後継となるシステムをめぐっては、激烈な闘争が生じるだろう。それは20年、30年、ないしは50年にわたって続き、その帰結は本質的に不確実である。そこにおいて歴史は誰の味方でもない。それはわれわれが何をなすかにかかっている。他方で、これは創造的な行動のための大きな機会を提供してくれる。構造的移行のカオス的な環境においては、ゆらぎは逸脱的となり、小さな入力でも、分岐に際してどちらの方向に向かうのかに大きな帰結を生ぜしめることができる。主体性が作用するときというものがあるとするならば、これがその契機にほかならない。鍵となるのは透明性である。何も変わらないようにするためにシステムを変えようとする――そうすることで、既存のシステムと同様かそれ以上にヒエラルキー的で二極分解的な別のシステムをもたらそうとする――勢力の手には、資金も、労力も、知性もふんだんにある。彼らは、偽の変化に、見栄えのする衣装をまとわせて提示しようとする。そしてわれわれがそのような多くの罠に落ちないためには、ただ注意深い分析によるほかはない。
 史的転換の契機にあって、固有の不確実性に満ちた世界において、世界の左翼がとりうる唯一の説得力ある戦略は、その基本的目標――すなわち相対的に民主的で、相対的に平等主義的な世界の実現――を知的かつ戦闘的に追求するという戦略だけである。そのような世界は可能である。ただそのような世界がやってくることは決して必然ではない。しかし、だからといって、それは決して不可能ではないのである。

※全文は『脱商品化の世界』に掲載(構成・編集部)
(山下範久訳)