2004年07月01日

『機』2004年7月号:水俣病における文学と医学の接点 原田正純

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現場を原点にしたつながり
 昭和36(1961)年の夏頃から、私は水俣病が多発した漁村の家々を訪ねて回っていた。その時、私たちの後ろから静かにつけてくる女性がいた。気にしていたが診察の邪魔をするわけでもなく、ただ優しい目をして、遠慮がちに私たちのすることや患者たちの様子を眺めている姿は保健婦でもジャーナリストでもなさそうだった。同じその頃、患者のうちに行くと「今、若い学生さんが写真を取りに来たよ」と何軒かのうちで聞いた。それで誰か若い写真家が今、水俣に来ているということは知っていた。しかし、ついにその駆け出しの写真家と遭遇することはなかった。また、市役所や熊大では「東大の若い研究者が水俣病の資料を漁っているが、何をするのか分からないから用心するように」と注意された。
 ずっと後で分かることだが、女性は石牟礼道子さんで、若い写真家は桑原史成さんで、東大の若い研究者は宇井純さんであった。お互いに全く無関係で、そのときお互いに出会うこともなかった。しかし、現場を原点にして、「これは大変なことがおこっている」という認識で、しっかり自分の眼で見て、何かを残さなければという熱い想いに駆り立てられていたことは共通していたのだった。文学として、映像として、衛生工学として、医学として、お互いの立場は違っていたが、その熱い想いはその後の水俣病の歴史の中で一本の糸に繋がっていったのだった。

道子さんとの出会い
 その後、私は東大に行って、当時は比較的新しい技術であった脳波を学んできた。その技術を水俣病に使ってみたかった。新しい論文を書くためでなかったと言えば嘘になるが、何か新しい治療の参考にしたい、とくに私が診てきた胎児性患者のためにならないかと考えたことも事実である。そのときも道子さんはつけてきた。道子さんは「三抱えもありそうないかついこの脳波測定器からは、ちょろちょろと、幾本もの尻尾のようなコードがよじれて畳の上に這い出し、それは何やらひくい震動音さえ立てていたので、目のみえる幼い患者たちは、ひとめみるなり、母親のふところへ後ずさりした。」と書いている。
 それから何年経ってからだったろうか、誰かの紹介で私を訪ねてきた女性が道子さんだった。「医学用語のいくつかが正確かどうか確かめたい」ということだった。題は「空と海の間に」だった。それが後の『苦海浄土』の原型である。私はそのときの薄っぺらで頼りなさそうな本を今も大切に持っている。

文学的かつ医学的
 それ以来、私は道子さんの魅力に取り付かれてしまったばかりでなく私の仕事に生かしたいと願った。私は文学者ではない。やはりあくまで医師のつもりである。しかし、道子さんの文章は文学的であることはもちろん、とても医学的であるのだ。
 『苦海浄土』の中で九平少年について「彼の足と腰はいつも安定さを欠き、立つているにしろ、かがもうとするにしろ、あの、へっぴり腰ないし、および腰、という外見上の姿をとっていた。そのような腰つきは、少年の年齢にははなはだ不相応で、その後姿、下半身をなにげなく見るとしたら、老人にさえ見えかねないのである。近寄ってみればその頸すじはこの年頃の少年がもっているあの匂わしさをもっていて、青年期に入りかけている肩つきは水俣病にさえかからねば、伸びざかりの漁村の少年に育っていたにちがいなかった。(中略)下駄をはいた足を踏んばり、踏んばった両足とその腰へかけてあまりの真剣さのために、微かな痙攣さえはしっていたが、彼はそのままかがみこみ、そろそろと両腕の棒きれで地面をたたくようにして、ぐるりと体ながら弧をえがき、今度は片手を地面におき片手で棒きれをのばす。棒の先で何かを探しているふうである。少年は目が見えないのである」。これ以上の完璧な病状記載があろうか。
 同様に多くの水俣病患者を診てきたが私たちの書くカルテがなんと貧弱で実態を現していないことか。実態を伝え、かつ感動を与えることのできるカルテなど書けるのであろうか。それには細かい観察力、鋭い洞察力、そして深い愛情、やさしさが必要なことを学んだ。文学的であり医学的(科学的)であることに私は衝撃を受けた。
 水俣病裁判ではその被害をどうやったら表現できるか。薄っぺらな一枚の診断書用紙でその人間の苦悩を表現できるものではない。私は地域や家庭の中でどのような生活障害があるか具体的に診断書に記載するように努力したつもりだった。しかし、石牟礼さんの記述には到底及ばなかった。

「語りに基づく医療」
 医学の世界では数字化、数量化、データ化できるものだけが客観的・科学的・医学的とされてきて、「根拠に基づく医療(Evidence-based Medicine)」などと呼ばれてきた。水俣病認定診査のためのカルテなどその典型であろう。最近、その行き過ぎの反省からか「語りに基づく医療(Narrative-based Medicine)」ということが言われている。その意味するところは病を患うことは自身の実体験であり、痛みや苦しみは生活や時代や社会と深く関わっているから、その人が他人に語ることによってその患う症状の意味を内面から理解しようということである。医療の出発点に語りを置こうとすることで、病が、もちろん個人的・医学的なデータ、所見に基づく患いから始まって、それが地域社会の中で、他者との関係において、どのような行動や構えや身振りとして表現されるか、さらに、病が人々の間でどのようなローカルな文化的なイメージを持つかなどの総合として捉えられる。
 おこがましくも言わせてもらえるなら、石牟礼さんの世界と私が目指している世界は出発点からしても、結末からしても意外と近いのかもしれない。

(はらだ・まさずみ/医学者)