2004年06月01日

『機』2004年6月号:〈座談会〉「オリエント」とは何か 岡田明憲・杉山正明・井本英一・志村ふくみ

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文明の原点としてのオリエント
【岡田】
 オリエントはラテン語の「日が昇る」に語源があり、ギリシア・ローマ世界から見た東、差し当たり西アジア地区を指します。いまはイスラーム世界と言って、欧米と価値観の問題、文明の問題で対立がうんぬんされているところですが、実は西アジアは古い高度な文明を持っていますから、イスラームから始めるのは問題がある。いまのイスラームと西洋との対立以前に、ギリシアと、またはローマとペルシア世界の対立があって、ペルシアが専ら東を代表していたわけです。
 このペルシアは、いまのイランだけではなく、もっと東西に広いところを支配していました。ある意味で、エジプト、メソポタミア文明など古代オリエント世界のすべてを集大成してアケメネス朝ペルシアが出てきて、その後のササン朝はアケメネス朝の復興という意識を持っていた。その意味で、もう一度イスラーム以前のペルシアを考える必要がある。また現代の文明において不可欠なもの、法とか貨幣とか情報とか、こういうものが既にオリエントにおいて起源が見られる。それ故、現代文明の原点を問うときにもオリエントを問題にしなければいけない。

ユーラシア・サイズの歴史
【杉山】
 自分が卒論を書くときになぜモンゴル帝国を選んだか。当時の先生がたが中国史に傾いていたのです。東洋史といいながらもここはほぼ中国史だと。モンゴル帝国は、とにかくユーラシア・サイズで広がりましたから、関係する言語文献は主だったものを数え上げても20数個は必要なわけです。東西が一遍に扱えますので、東は日本から、西はヨーロッパを越えてイングランドまで。このモンゴル時代は、事実、状況、史料がそうなっているから、そのままにやればユーラシア・サイズにはなってしまう。ところが、私たち日本列島に暮らす人間は、ものごとをどうしても東と西の単純な図式でとらえてしまう。しかし世界は、昔も今も決して東と西のような二項対立的な世界ではありません。東は朝鮮半島から西はオリエント世界から東欧ぐらいまで分析していくと、何か深い共通性みたいなものがあるのかもしれません。
 オリエントというのは人類文明の基本的なパターンをほとんどそこで出現せしめている。直接的にはアケメネス朝ぐらいに行くと大体すべてわかる。秦でやっていることはほとんどダレイオスがやっていること。ローマ帝国もそうです。それ以後のことがらは、ほとんど古代ペルシア帝国のパターンを考えていくと、それから外れる部分は少ない。アケメネス朝で一旦一つの形が出来上がって、それが広まっていったという気がします。

古代日本とペルシア
【井本】
 古代オリエント文明には、ジッグラトとか階段式ピラミッドとかがあります。メソポタミア文明では、それぞれの都市にはジッグラトがありました。ジッグラトは七、八段の四角い、石と土を積み上げた塔で、てっぺんの空間に神殿があり、王がそこを訪れて巫女に選ばれた女性と聖婚と呼ばれた一夜婚を行いました。中国の元時代の漢文の本に、東南アジアのアンコール・ワットにも同じような聖域があり、そこで王が夜な夜な聖婚をしたと書いてあります。飛鳥の酒船石遺跡は山の斜面一面だけが段状になっていますが、これもジッグラトです。両槻宮が神殿にあたります。ここで天と結合する儀礼が行われたのでしょう。
 古代の日本には、西アジアの方からいろんな物の考え方や風習が入ってきました。ある人類学者の研究によりますと、紀元前300年から飛鳥時代が終わる 700年ころまでの1000年間に、約100万人の渡来人があったといいます。年平均、1000人の渡来人がやってきた計算になりますが、中には高い技術や宗教や制度の専門知識をもった人びとも多かったでしょう。蘇我氏に重用された鞍作一族はイラン系の工人一族で、寺院建築のノウハウを持っていました。彼らがつくる寺院や仏塔は朝鮮三国や中国のものとだいぶ違っております。日本には、中国文化や朝鮮文化と同じように、量的には少ないけど、ペルシア文化が入ってきました。

なぜかペルシアに惹かれて
【志村】
 正倉院のさまざまなものが、あんな遠くからはるばる日本に来ている。ああやって日本に伝わってきて、そして出土したのではなく、伝世品として今日まできちんと残っていることにもびっくりしました。楽器にしても、それから染色も、唐の時代に中国を通って日本に来ているんですが、元はすべてペルシア。だから私はなぜかペルシアに惹かれて。なぜ惹かれるのかと思いますと、文字、あのペルシア語の。あれには非常に惹かれていたんです、カリグラフィーに。こんな美しい形を文字として持っている国というのはどんな国なんだろうと。
 それでとうとうイランにいったのです。エスファハーンとかシラーズのモスクのあれを見たら、これはもう最高に美しいものがこの世にあるんだなと、びっくりいたしました。ペルシアという国は何か言葉が天からひらひらと降ってきて、それをそのままああいう建築の中にもはめ込んでみたりする。コーランのような、あんな美しいものがある。それはイスラーム教といいますが、何かそれ以上に、人間が神との交流の中で得た何か最高の美の証だという感じを持ちました。とくに私が惹きつけられるのは、植物は例外としてほとんどが具象ではなく抽象紋様。しかもタイルで、なまなましく描くのではなくはめこんでゆく。工芸的にというか、そういうところに私の仕事などと共通の親しみを感じます。

※全文は別冊『環』8に掲載(構成・編集部)
岡田明憲(おかだ・あきのり/インド・イラン学)
杉山正明(すぎやま・まさあき/モンゴル史)
井本英一(いもと・えいいち/イラン学)
志村ふくみ(しむら・ふくみ/染織家)