2004年05月01日

『機』2004年5月号:日露戦争の世界史 崔文衡

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日露戦争を韓国歴史学会の第一人者が世界史的に位置づける初の試み!

日露戦争と韓国
 今日、日露戦争から100年を経ているが、未だに、この戦争は日本とロシア両国間の戦争であるとの見方が常識として通っている。それはきわめて一面的な見方であって、正しい歴史認識に基づいた理解とは言いがたいように思われる。
 当時、韓国は日露戦争開戦と同時に戦場となり、終戦と同時に日本の支配に帰された。日露戦争とは、日清戦争を通して植民地化の危機に追いつめられていた韓国を、ついに日本の支配下に帰せしめた戦争であった。これは厳然とした歴史事実だが、日本の学界では一般にこの部分が、なぜか研究領域からはずされているように見受けられる。
 さらに、日露戦争は独り韓国のみならず、満州もまた日本とロシアの争奪対象とされていた。韓半島と満州は日本の大陸政策とロシアの南下政策が交錯する地域であった。実際に満州は戦場になったばかりでなく、韓国の運命が決定された講和会議においても満州問題は重大な案件だった。

欧米列強の利害が絡む
 この戦争には、終始欧米列強が介在していた。日本がイギリス・アメリカの支援を得ていた反面、ロシアはフランス・ドイツの支援を背景にしていた。アメリカ・イギリスは日本を支援することにより、東アジアでの日本・ロシア間の勢力均衡をはかり、満州の門戸開放の確保を狙っていた。ドイツはロシアの満州進出を支援することによって、フランスの孤立を図っていた。フランスはドイツと違い、ロシアがアジアで戦争に巻きこまれればヨーロッパにおいて自国の同盟国としての機能を失いかねない、その事態を防ぎたいと思っていた。
 このように日露戦争は、直接的に欧米列強諸国の利害と直接つながっていた。列強諸国により世界のほとんどがすでに分割され、わずかに残った地域をわがものにするため、覇権を争う後進帝国主義間の戦争に欧米列強は直接参戦こそしなかったが、さらなる獲物を得んものと各自、積極的に介入したのである。戦況の変わり目ごとに列強は、各自、露骨にその利害得失をはじいていた。そのため日露戦争は、欧米列強の規制の中で戦われ、また、戦況の推移は列強の相互関係に直接作用し合っていた。

一つの世界大戦
 このような国際関係は戦後もひきつづき展開される。一例として、1907年、《昨日の敵》であったロシアとともに、日本は協商陣営に加わり、大戦の相手陣営、三国同盟と対立した。これが第一次大戦へとつながる。
 あらためて指摘したいことは、日露戦争は単なる日本とロシア両国間だけの戦争などではなくそれは韓国・満州をつつみこんだアジアの戦争であり、欧米列強が介在し、帝国主義国間の利害が直接、かつ複雑に絡み合った、一つの世界大戦であったと見なされる。
 こうして、日露戦争の研究は韓国・満州を中心にすえ、国際状況の推移の中で、多面的な視覚で、総合的に進められることが望ましい。それは日露戦争の全体像をつかむために必要であり、とりわけ日露戦争後の、日本の《韓国併合》に対する正しい歴史認識のためには是非とも必要な作業であろう。筆者が本書を著したいと思い立ったのはこのためである。
 ここで、筆者はロシア・アメリカの日本牽制と日本の対応の全過程の分析をとおして、日本の韓国併合に至るまでの国際関係の全貌を把えることを目指した。かような努力が、これからの若い学究の、より進んだ研究の礎石となれることを期待するのは、筆者の秘かな告白でもある。
 ともあれ、日露戦争に対する正しい歴史認識の確立に寄与したい宿願に執着した末の本書が、時あたかも日露開戦100周年を期して、韓国と日本において同時出版できる運びになったことに、筆者はある感慨を覚えるものである。

(チェ・ムンヒョン/漢陽大学校名誉教授)