2004年04月01日

『機』2004年4月号:社会学の新生 P・アンサール

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待望の新しい社会学入門書!
社会学をめぐる論争
 フランス社会学のさまざまな潮流の間に見られる論争や対立の激しさは日本の人々を驚かすかもしれない。しかもそうした論争は専門家たちのサークルに限られたものではない。新聞・雑誌やテレビ・ラジオといったメディアを通じて教養ある人々の間に大きな反響をもたらす。それらは文化的生活の中で、なくてはならない場所を占めているのだ。
 ところで、社会学をめぐる論争が始まったのは19世紀末からであった。当時は哲学者や哲学教授たちの間でかなり熱心な議論が起こった。彼らの役割は文化的、政治的に重要だったのである。1914年の第一次大戦の前には、社会学や人類学でのデュルケーム学派の活発さもまた、専門家や弟子たちの輪をこえて広い公衆の注意を引いた。
 第二次世界大戦後は、社会学の著作が政治権力から自立性を保ちつつも、それぞれの研究の中で、社会主義とリベラルという二つの政治的傾向の間の論争の大まかなラインを踏まえざるをえなかった。政治的、社会的および知的な活動領域を通してつねに見られるこの大きなイデオロギー的対立を、社会学は新たな装いのもとに示したのである。

ブルデューとブードン
 ピエール・ブルデューの理論と方法論的個人主義の対決はこの点で典型的である。60年代から研究を開始したブルデューは、マルクス主義の知的枠組みを再検討するというテーマを自らに課し、その独断論や経済決定論を逃れながらも、社会階級と支配関係という用語による分析枠組みを保持した。同じころ社会学的個人主義が、これに対抗する伝統をよみがえらせる。つまりアレクシス・ド・トクヴィル、マックス・ウェーバーそしてレイモン・アロンらの伝統である。おそらくこの対立をあまり単純化してはいけないだろう。ブルデューと協力者たちはマルクス主義の教条的な暗礁を避けようとしあらゆる歴史哲学を遠ざけるとともに、シンボリックな実践の分析において、還元論的な傾向を避けようとした。同じくレイモン・ブードンは教条的なリベラリズムを逃れ、計量的なデータの解釈においていっそう厳密な手法による方法を提案してきた。しかし社会的文脈における社会学的研究の役割についてのそれぞれの概念の中に、両者の対立を再度見出すことができる。すなわちP・ブルデューは社会学の中に、支配に対する抵抗のための知的な源泉、支配される人々の解放に貢献するような道具を絶えず求めてきた。R・ブードンは仲間の社会学者たちとともに、社会学の中に十分抽象的で厳密な科学を絶えず求めてきた。それは政治的な用具とするにはほとんど適さないものである。前者は左翼の中に、つまり「知的労働者たち」に好ましい反響を呼んだ。後者は保守穏健派の知的なグループのあいだで聴衆を見出している。

バランディエとクロジエ
 ところで、これら二極間の対決が20世紀後半のフランス社会学の理論的領域を覆い尽くすものであるにはほど遠い、ということも強調しておきたい。左派と右派のあいだに、政治参加と科学の賞揚とのあいだには、もっと違うポジションが主張されており、マルクス主義からも個人主義的リベラリズムからも同じくらい隔たっている。例えばジョルジュ・バランディエの目標とはマルクスかトクヴィルかを選ぶことではなく、資本主義的でないいくつかの社会システムのオリジナリティーを強調し、その政治システムを分析することにあった。ミッシェル・クロジエの目的は政治論争をやめて、官僚制的な組織の閉塞状況をもっと理解することにあった。社会的な構築物の中の個人行為者の役割を理解することである。

社会学の活性化に向けて
 これらの社会学者たちはあらゆる独断論に警戒し、構造、主体、社会的行為者、支配といった社会学の基礎概念を再考するために有益な道を切り開いてきた。そして還元主義的な定義の罠をかいくぐろうと努めてきたのである。こうした概念を疑問に付し考え直すことは、取り巻く社会のさまざまな変化と無関係ではない。例えば新たな政治的統合は困難な問題を抱えており、また過去の思考モデルを越えるような社会組織の新しい形態にわれわれが直面しているという感覚が生じている。新たな考察が社会学の自己反省の活性化につながると同時にアクチュアルな変化に直面する解明にもつながるであろう。         (山下雅之訳)
 2003年12月9日 パリ

ピエール・アンサール(Pierre Ansart)
1922年生。パリ第七大学名誉教授。
主要著作に『プルードンの社会学』
(1967年、邦訳法政大学出版局、1981年)他