2004年03月01日

『機』2004年3月号:「哲学の再開」を宣言〈インタヴュー〉 アラン・バディウ

前号   次号


フランス最後の哲学者、待望新著の完全訳!

『存在と出来事』と『哲学宣言』
 『存在と出来事』を書いている最中に、もっと短くて分かりやすい本を書こうと思いました。『存在と出来事』は哲学総論、思い上がった言い方が許されるならば、ヘーゲルの『論理学』のような哲学総論です。そのような大著を書くことは無理なことと当時多くの人が宣言していました。哲学の体系を――『存在と出来事』はある哲学体系ですが――今日において書くことは不可能であると、デリダやラクー=ラバルトが明確に述べています。ですから、私は当時のほとんどの人にとって不可能と思われていたものを書いているという思いがあったというのがまず第一点です。
 第二に、私自身、『存在と出来事』が難解な本であるとわかっていました。なぜ難解かというと、まずはこの本が思弁的概念と数学的形式性との間にある種の統一を図ろうとしていたからです。
 と同時に、この本の主な諸命題にはある種の力、明白さ、一貫性があり、それらはそれら自体として取り上げる価値があると思いました。主な諸命題だけを取り出して、より開かれた、直接的な形をそれらに与えることができると。
 よって『哲学宣言』は、1980年代当時の状況、つまり哲学の終焉や形而上学の可能性の終焉といった命題の刻印を受けた状況の中で書かれています。

ラクー=ラバルトとの関係
 私はラクー=ラバルトをとても尊敬、称賛しており、かつ彼は友人です。彼は『存在と出来事』の最初の読者のうちの一人で、私の教授資格試験の審査員でした。ラクー=ラバルトとの対話は、途切れなく今まで20年間続いています。
 ラクー=ラバルトとの議論において、中心となるのは哲学と詩との関係です。ラクー=ラバルトが確信していることは、哲学の本来の役割とは、詩が神話から解放され、その支配から脱出しようとする努力を手助けする、あるいは、その努力に付き添うことであるということです。結局のところ、思考の最大の敵とは、彼がミテーム[神話素]と呼ぶところのものです。
 私が彼とは別の様々な主題のもとで主張していることは、哲学が詩に見いだすものは言語の表現能力であり、それは数学と根本的に対立するものだということです。つまり、哲学は詩的言語の中に言語の力を見いだし、その力は、結局のところ、数学の形式的な力の反対側にあるものだということです。
 とはいえ、この哲学と詩に関する問題についてラクー=ラバルトと対話することは非常におもしろいと私は常々思っていました。つまるところ、フィリップが私を批判するときは、私が詩とミテーム[神話素]とを混同していると言うでしょう。一方、私は、彼は詩の中にある直接的に言語の領域であるものに十分に注意を払っていないと言うでしょう。
 いずれにせよ、我々二人は、哲学と詩の関係は本質的であるという確信、この関係が危機にあるという確信、詩と哲学は言語の力あるいは権能に関するある種の特異な弁証法[的関係]の中になくてはならないという確信を共有しています。

デリダとの関係
 私とデリダとの関係には、実のところ、まったく対立しているところと、大変近接しているところの両方があります。
 まったく対立しているというのは、私は哲学を全く構築的なものであると構想しており、哲学の第一の任務が批判や脱構築にあるとは全く思わないからです。もっと広い視野に立って言えば、このことが、カントに由来するある種の伝統に私が反対している理由でもあります。そこで問題になっているのは、単にデリダがまさにその創始者である、現代的意味での脱構築だけではなく、より一般的に、哲学とは、思考ができること/できないこと、考えられるもの/考えられないもの等々を定めるものであるとみなす、哲学の法的・批判的構想なのです。
 私は哲学を肯定的に構想しています。それは、私のニーチェ的なところかもしれません。私は実質的に肯定的な[哲学の]構想を持っており、私とドゥルーズとは多くの対立点がありますが、哲学は構築であるというこの確信だけは共有しています。脱構築よりもまず先に構築がある、と。これがデリダとの対立点です。
 デリダとの近接点は、思うに、デリダが、今日まで、哲学が支配的イデオロギーとは異質なものであるという考えに忠実であり続けたという点にあります。私が彼に近いのは、私も彼も、管理主義的政治観――状況の現実的・経済的運営、代表民主制等々――だけでは不十分であると確信しているからです。近年、デリダと私とは互いに歩み寄ったと言っておきましょう。哲学的にではありませんが、人間的、政治的に近くなりました。

ハイデガーとの関係
 私は若い頃から、ハイデガーを重要な思想家とみなしてきました。私は若い頃サルトルの弟子でしたが、サルトルにとってハイデガーはとても重要でした。
 私にとってそれが自明のこととなったのは、とりわけラクー=ラバルトやジャン=リュック・ナンシーやデリダとの議論を通してであり、今日の哲学の役割は何であるかをハイデガーが言おう、考えようとしていると分かったときからです。ハイデガーは、哲学のイストリアル[歴史的]状態を規定することにおいて最も徹底していたのであり、私たちが本当に新しい構成形態、思考の新しい可能な段階に入ったということを示そうとしたのです。
 第二に、ハイデガーは、哲学の運命は哲学以外のものと結ばれていると決定的に見抜きました。哲学の運命は、詩や、その根本的、革命的意味において、政治と結ばれていると。彼はナチの革命家でしたが、革命家であったことには変わりない(笑)。もちろん、哲学は芸術的創作活動のあらゆる形態とも結ばれていることも見て取ったのです。
 最後に、彼は哲学の歴史を刷新しました。彼以前は古典的、伝統的に時代区分された、ある種の哲学の歴史があったのですが、ハイデガーは哲学の歴史を作り直しました。彼は、前―ソクラテス派を改めて創出し、プラトンについてそれまでとは違った見方を提示し、まったく新しいカントを作り上げました。ヘーゲルについてのテクストでさえ、またニーチェやその他の人についての文章も、どれもすばらしく、全て本当に彼が作り上げたものです。これらのことが彼を一人の大思想家にしているのです。彼は哲学の、新しい運命、新しい歴史、新しい条件を創り上げました。彼はある時点において私たちの思考の地平であったし、いまでもあり続けているのです。


フランス哲学との関係
 私の努力の一部は、通常切り離されているフランスの二つの伝統を統合することにあると思っています。
 一方には、実存的・文学的・詩的ともいえるフランスの伝統があり、これはベルクソンに始まります。彼は、多少科学の知識もありましたが、彼の主な傾向は、実存的な方向であり、彼の文体はとても文学的です。この伝統はサルトルやデリダといった、全く異質な哲学者たちによって受け継がれていきます。それは、彼らの哲学のスタイルが、実存的な問いかけと文学的書体[エクリチュール]の方に方向づけられているということです。
 もう一方の伝統は、よりいっそう科学、とりわけ数学に根付いた伝統です。これは、20世紀にブランシュヴィックに始まり、カヴァイエス、ロットマンによって引き継がれ、バシュラールによって一新され、デサンティがその系譜に連なります。そしてカンギレームがこれを受け継ぎ、最後にアルチュセールが来ます。
 私は若い頃はサルトル派で、もう少し年をとってからはアルチュセール派であったので、私はこの両方の伝統のもとで育ったのです。私の哲学的企図は、両方の伝統を最終的に統合できる概念の枠組みをつくる試みと定義してよいかもしれません。

ラカンとの関係
 ラカン自身、以上の二つの伝統の統合をし始めていたと言うことができるでしょう。ラカンは、文学的、詩的、創造的活動に非常に通じていた人で、シュールレアリストたちと付き合いがあり、バタイユを良く知っていました。彼の文体を見てみれば一目瞭然、マラルメのようなフランス語です。
 ただもう一方で彼は、数学的形式性、数学的形式化・数学的論理に大変重きを置いており、フレーゲ、パース、カントールらを注意深く考察していました。つまりラカンは、論理的形式主義への尊重と文学的直感の両方を統合する複雑な空間をすでに備えていたのです。
 私がラカンに負っているのは、この統合の最初の形であり、そして、こういった統合が必ず主体の新しい概念をめぐってなされるという根本的な考えです。ラカンが提起しているのは、我々の問題は、デカルトに由来する主体の概念、コギト、または精神分析からくる無意識の主体といったものを削除することではなく、むしろ主体の範疇を刷新し、主体について別の範疇を提案することであるということです。この点において私はラカンと同じ途をたどっており、私も主体の範疇を変容させ、一新させようとしています。
(構成・編集部)

(アラン・バディウ/Alain Badiou)
1937年モロッコ・ラバに生れる。
現在は、仏・高等師範学校哲学科主任教授。
主著『存在と出来事』。