2003年10月01日

『機』2003年10月号:公共福祉の先駆者にまなぶ 兼田麗子

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公共福祉の時代、企業家・民間人は何をなすべきか?

中央集権から民主導へ
 中央集権的な施策は、経済の発達には大きく貢献してきた。戦後の「上」からの所得倍増計画も功を奏し、日本の経済力は短期間で世界のトップレベルになった。しかし、いわゆるバブル経済崩壊以降の深刻な不況の影響や少子高齢社会化による社会構造の変化によって、人々の意識や生活スタイルは大きく変化を遂げた。物質や金銭という経済的価値観の追求一辺倒から、心のゆとり、生きがいなどという精神的側面を求める傾向が強くなってきた。現在、より良い暮らしを求めてのニーズは多様化、増加している一方で、もはやそれらへの対応を一極集中的に国や公的機関に期待、依存するのみの福祉政策には無理があると考えられるようになってきた。また、阪神淡路大震災以降、互助とフィランソロピー(社会貢献)精神を備え、国や自治体の限界にも対応しようとする非営利団体(NPO)が注目を浴びるようになってきた。我々個人に近い存在の主体が地域を中心にしてリーダーシップを発揮していく重要性が強く認識され始めたのである。

「国家危ふし」――近代国家成立期
 近代国家成立以前には日本でも民間活力や果敢な行動力、創意工夫が富んでいたといわれる。社会貢献の動きは、日本の歴史上にこれまで存在しなかった新しいことではなく、遡ること百年前の二十世紀初めにもあった。
 日本では、封建時代を過ぎても、個人や市民という意識は確立されず、欧米諸国の近代国家という枠組みのみを模倣した形で中央集権国家が「上」からつくられていった。そのような「上」からの、という動きが主たるものであった時代の制約の中で、人々のフィランソロピー精神、変革への参加意志と勇気、行動力、創意工夫の度合いはかなり強かったと思われる。というのは、近代国家づくりが行われたころは、現代と同様に、意識や社会構造が変化し、閉塞感や危機感の充満する「国家危ふし」の変革の時代だったからである。
 本書は、そのような時代に生き、フィランソロピー精神の下で、問題点を進んで改良しようとした先駆的な社会福祉実践者の思想と実際の活動を現代的意義を求めながら考察した。民間活力あふれる市民福祉社会づくりに必要な視点を過去から洞察しようと試みたのである。

実践者、留岡幸助と大原孫三郎
 明治維新を経て急速な近代国家づくりへと向かう中で様々な社会的歪みが表面化してきた時代にあって、留岡幸助(一八六四―一九三四)は、多様な人との交流を通じて多岐にわたる活動を行った、日本の社会事業の先駆者と目される実践家である。大原孫三郎(一八八〇―一九四三)は、資産家に生まれ、青年期に目覚めた使命感に従って理想実現のために行動していった人物である。その支援やリーダーシップは、資産家だったために可能だったとは一概に言い切れない徹底ぶりであった。両者は、儒教精神を引き継ぎ、そしてキリスト教にも感化を受けた人物であった。明治時代の武士階級出身者のキリスト者によく見受けられたように、言わば、東洋的側面と西洋的側面を融合させた特徴を両者共に有していたのであった。社会事業の先駆者たる留岡幸助と実業家の大原孫三郎という一見かけはなれた人物を取り上げはしたが、両者の人類愛や使命感につながったと思われるキリスト教、伝統的な儒教・報徳思想的考え方、オウエンとの対比などという共通の基軸をもって一貫して考察することに注意を払った。その一方で、その基軸を念頭に置きながら、考察するテーマや分野は、社会事業家と実業家という両者の相違を浮き立たせるものを選択したつもりである。両者の活動や考え方は、後世に残っており、「国家危ふし」の現代に語るものは多いはずと考えている。

(かねだ・れいこ/政治・社会思想)