2003年09月01日

『機』2003年9月号: おどりは人生 鶴見和子 西川千麗 花柳寿々紫

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国際的舞踊家二人をゲストに、鶴見和子が「おどり」の本質を存分に語る!

歩くことが基本
鶴見 だから歩くことがほんとに基本なの。それでおどりをやっててよかったな。つまりどうすれば体を動かすことができるかということが、おどりやってればわかるのよね。それで、それこそ尾てい骨をキュッと立てて歩ける日と、立てないでよぼよぼ歩く日とあるのよ。だから今日はなんでいこうかなというのを、毎日決めるの。それはとても楽しみよ。花道を出てるような感じが毎日して。だいたいリハビリをやってる人は、途中で嫌になってやめちゃう人もある。というのは毎日同じことでしょう。そしてすぐに歩けるわけじゃないでしょう。こんなことやってたってつまらないってやめちゃうのよ。ところが私はおどりで毎日同じことやってたの。そしていつかピュッと飛び出すときがある。そういうことはわかってるからね。私、おどりやっててよかったと。だから、おどりは歩くことが基本だということが、自分の体がこういう不自由になってはじめてわかったの。だからおどりはいろんな効用があるのよ。ひとに見せるだけじゃないのよ。

西川 先生の言われる、何かを失うことは何かを得ることだということですね。

鶴見 そういうこと。

何かを失うことは何かを得ること
西川 実は私初めての創作舞踊が「瞽女ものがたり」、そして梅原猛先生の『湖の伝説』は、子供に目玉を与えて盲目になる母親、一休禅師の「しん女」と、不思議に盲目の女性の作品が多いんですけど、今ふり返ると、眼が見えないことで、より深くものが見えるということを私の中のテーマにしていたように思いますねぇ。
 ついこの間、山荘に澤村祐司さんという東京の男の子が来ていたんです。東京での「しん女」以来、お母さんと東京公演を見てくれているんですけど、いつもは舞台と客席でしたから、初めて逢ったのが今年五月の山荘公演「雪女」でした。
 祐司さんは眼が見えないんですけど、小学生だった「しん女」の時にも帰る道々、「僕はちゃんと見えたよ、ああなんだろう、こうなんだね」とお母さんに話してくれたのが、もう十九歳になっていました。「よかったら夏にいらっしゃい」と誘っていたので、この間お母さんとお琴を持ってきていたんです。
 それで折角だからと舞台に敷いて、その時滞在していた教え子のスイスのダンサーとうちの若い子とお母さんの四人が聴衆になって、と軽い気持でしたのに、その演奏の良さに驚きました。技術的なことよりも何か祐司さんの中にあるものが表出している良さなんです。
 山荘に居ても「絶滅寸前のかじか蛙の声が……」と喜んでくれたり「今、山のむこうの方で……が、ほらこちらで……が」と私には聴きとれない鳥の声の話もしてくれました。日本の自然への感受性の強い彼が、日本の音楽、邦楽を選んで、豊かに内在したものが演奏に表出しているのを嬉しく思いました。つくづく眼が見えないことによってより多くのものを見る機能を得ているんだなということを、その子に思い、鶴見先生に思い、します。

鶴見 だから「手足萎えし身の不自由を梃子にして心自在に飛翔すらしき」という歌をつくったんだけれど、体が不自由になったから心が飛翔すると思う。

西川 だからこそ、日常から離れて山に居ると私にも別の機能が働きだすとか、そういうことを現実に思ったりしました。

武原はんを憶う
鶴見 武原はんさんが体が動かなくなって、扇をあげたら、いままで見えないものが見えたっていうのも、そういうことね。そこまで到達なさったのよね。それがすばらしいと思うの。何しろ自分の体をどのように美しく見せるかということで、もう大変な苦心をしていらした方が、最後に動かなくなったときに、見えないものが見えたというのは、やはりそれが日本の舞踊だなと思った。

西川 そうですね。空気によって見る機能は、本来誰もが持っているのに、見えることでその機能は忘れられてしまっている。動かなくなった時に、動くエネルギーが空気になって舞うのでしょう。

鶴見 でもよかったわ。武原さんのことをこんなふうに話させていただいて、それは寿々紫さんのお蔭だから。

花柳 でいえ、先生も喜んでいらっしゃると思います。

鶴見 ほんとにうれしいわ。でもね、生きていてくだすったらと思うけれどね。亡くなられたことは、武原さんは大願成就だから、とてもいいところにいっていらっしゃると思うわ。あれだけの苦労、努力を積み重ねて、自力でそこに到達したというのは、すごいことだと思う。でも、寿々紫さんはそれを身近にずっと見つめていらしたんだから、お幸せねえ。

花柳 ええ、ほんとにそう思います。娘のようにかわいがっていただきましたからね。鎌倉の瑞泉寺にお墓があるんです。

鶴見 そうですか。ここにも写真があるけれど、いいお顔していらっしゃるの。これ、いいお顔でしょう。

花柳 朝、一時間くらいかけて髪をご自分で結われるんです。

鶴見 ご自分で? きれいねえ。お髪だってきれいですもの。すごいわよ。ほんとよ、私、寿々紫さんのお蔭がなかったら、私、武原はんさんがこんな偉大な人だということは知らなかったわ。

*武原はん(一九〇三―二〇〇一) 日本舞踊家。三味線・囃子・狂言・能・仕舞などの芸を学んだ後、藤間勘十郎・二世西川鯉三郎(舞踊)に師事。三九年高浜虚子に師事し「ホトトギス」同人となる(俳号・はん女)。八〇年日本芸術院会員、八八年文化功労者。山村流上方舞を独自のものとした。代表作に「雪」「鐘の岬」など。

(うみせど・ゆたか/音楽家)