2003年07月01日

『機』2003年7・8月号:「生きる力」がめざめるために 竹内敏晴

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哲学者と演出家の「人間の教育」についての対話

「魂の世話」と「からだの回復」
 「竹内さんは『からだ』ということをさかんにいわれるわけですが(略)ソクラテスが『魂』と言ってるのは、実はおんなじことじゃないかって気がするんです」
 林竹二がこう言い出した時、わたしはしばらく声がでなかった。
 生涯ソクラテスの哲学研究に打ち込み人間の教育(パイデイア)を「魂の世話」とする林になにが起って「からだ」に目を向けたのだろう。十年の協働の末に、かれはわたしの、聴覚言語障害児の体験に根ざす「からだとことばのレッスン」――主体としてのからだの回復――になにを見たのだろうか。


湊川高校での出会い
 林竹二と言えば多くの人はまず第一に田中正造の研究を思い浮べるだろう。わたしにしても初めてかれの名を知った一九六二年の『思想の科学』に載った「抵抗の根」で、正造のいわゆる「古来の自治村」の思想を知った衝撃を忘れることはできない。
 ある世代の人々には一九六八年の大学紛争において、宮城教育大学学長として単身バリケードの中に入って学生と討論し、警察機動隊の出動を拒否して学生の自主的封鎖解除を実現した行動によって、また教育関係者には全国三百校以上の小中学校の授業行脚において、授業の根本的改革を訴え続けた実践によって忘れられぬ人でもあろう。
 しかしわたしはその林についてはほとんど知らない。わたしが林竹二を身近に知るのは、かれが兵庫県解放教育研究会の教師たちと出会い、一九七七年神戸の湊川高校(定時制)に「人間について」と題する授業に入った後、特別授業の講師として参加を求められた時からである。
 林は、被差別部落出身者が半数以上を占めるこの学校において、初めて、義務教育から切り捨てられて来た子どもらの苦しみに出会い、さらに、不登校低学力あばれもんとしてしか評価されて来なかった若者たちが授業において表わした「奇蹟」のような集中力と感想文とに衝撃を受け、以後死に至る十年間を、湊川、尼崎工業学校、東京の南葛飾高校定時制での授業に打ち込む。
 この十年は林にとって、瑞栄夫人によれば「あそこへ入っていったということで、主人はもう一つ段階を登ることができたということです」という、生涯の総決算であった。

十年にわたる対話
 この本は林とわたしが交わる十年間の初めと中と終りに位置する三つの対話を柱として編んだ。わたしは芝居ものであり実践者であって、文章よりも、じかにことばを交わし疑問と体験をぶつけあった経過を生きて、ことばより深い層でなにを探っていたかを、みずからも見、また読む人にも体感して欲しかったからである。
 林はこの十年にいく度かの覚醒と転回を経て、「教えるもの」――ダイアローグを進めて相手のドクサを吟味し自覚させるソクラテスの役割――から、ひたすら人民の魂の奥底に参入しみずからそれに成ろうとした田中正造の姿へ変貌した。そして重度の重複障害児に、「魂」が「からだ」として生き始める姿を見た。今わたしには、かれがソクラテスのことばによって言う「魂」の全容がようやく見えてきたおもいがある。
 十年にわたる「人間の教育」についての対話、そして今。国家経営的視点から判定する学力低下や学校崩壊などの現象に対する対症療法とは別次元の、これは根源的かつ実践的な、教育いやむしろ人と人とはどの深さで出会いいかに学びに向って歩み出し変容してゆくかについての探求であり、荒蕪の野になにが芽生えるかの賭けである。

(たけうち・としはる/演出家)