2003年03月01日

『機』2003年3月号:歴史学における「絶対」の探究 尾河直哉

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ブローデル的問題系のエッセンスをコンパクトに呈示!

「絶対」に漸近する道
 バルザックに『知られざる傑作』という短編がある。架空の天才画家フレンホーフェルが、生きた美女をそのまま画布の上に捉えようとして説明的な描線をいっさい拒否したすえ、混沌という「傑作」に逢着するというストーリーだ。この傑作「美しき諍い女」は同時にあらゆる視点から描かれている、とミシェル・セールは言う(『生成』)。マクロもミクロもあらゆるものを同時に見渡せる、到達不可能な神のごとき視点。それを「絶対」と言い換えるなら、フレンホーフェルは絵画における「絶対」を探求した。 二十世紀、歴史学における「絶対」を探求した男がいる。フェルナン・ブローデルである。生きた美女ならぬ生きた歴史を、画布ならぬ書物の上になにひとつ取り逃がすことなくそのまま補足したい。だがそのためには、同時にあらゆる側面から世界を見る神のごとき視点、「絶対」が要求される。さてどうすべきか? ここで歴史家はバルザックの画家と袂を分かつ。説明的な描線をいっさい拒否して表象空間の崩壊へと突き進んだフレンホーフェルとは反対に、ブローデルは説明のための描線を積極的に析出していった。適切な描線こそが生きた歴史全体をまるごと補足し、「絶対」に漸近する道だと考えたからだ。長期持続、全体史、経済=世界、物質生活/経済生活/資本主義の三層構造。これらがその描線である。

第一回国際ブローデル学会
 そうした描線をバランスよく見渡せるのが本書。一九九一年、メキシコシティーで開かれた第一回の国際ブローデル学会の基調講演をまとめたものだが、ブローデル史観の主要な描線のみならず人間ブローデルをも垣間見させてくれる。専門的な議論に深入りしないから、これからブローデルを読もうという読者には格好の入門書になるだろう。
  「長期持続と全体史」(カルロス・アントーニオ・アギーレ・ロハス)は、長期持続と全体史がブローデルの複雑な宇宙を解き明かすため、いかに重要な概念かを示す。
 先頃物故したルッジエロ・ロマーノは「『地中海』の誕生」でポレミックな『地中海』擁護を展開する。新しい歴史学がその後いかにブローデルの精神から逸脱したかを語る口吻からは、ロマーノの悔しさすら感じられる。
 「ブローデルとマルクス」(ボリーバル・エチェベリーア)と「ブローデルの資本主義」(イマニュエル・ウォーラーステイン)は、マルクスと比較しつつブローデルの資本主義概念を鮮やかに描き出す。資本主義がカタストロフィックな色を日増しに濃くしている今日、経済生活と資本主義を理論的・歴史的に問い直す作業は喫緊事だ。ぜひともブローデルの「資本論」が真剣に読まれるべきである。

マティスのように
 ブローデル夫人による「歴史家ブローデル誕生秘話」は『地中海』までのブローデルを、弟子モーリス・エマールによる「社会科学の総合化」はその後の歴史家の軌跡を辿って興味深く、かつ楽しい。夫人の語るブローデルは驚きと魅力に満ち、人の心を捉えて放さない。『地中海』を幾度も最初から書き直した時間と体力の無駄を指摘する夫人にブローデルはこう答えたという。「マティスが同じモデルの同じ肖像を毎日毎日新しく描いていた話を教えてくれたのは君自身じゃないか。マティスは毎日毎日デッサンをくずかごに放り込んで、最後にやっと本当に気に入る線が見つかったんだって。」
 フレンホーフェルのように「絶対」を探求した歴史家は、しかし、マティスのように線を発見していったのである。

(おがわ・なおや/フランス文学・ロマンス諸語文学)