2003年01月01日

『機』2003年1月号:ブルデュー再発見 ──ブルデュー一周忌に── 宮島喬

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ブルデュー理論の日本分析への応用とその批判的継承

プラティックの理論
 二〇〇二年一月ピエール・ブルデューが逝き、しばらく時間が経ってみて、その存在の大きさをあらためて感じる。かれの知的影響は、社会学はもとより他の社会諸科学、言語学、歴史学、文学研究、芸術研究、ジェンダー研究へと驚くほど広く及んでいる。今から一五年前、「こんなフランス語をいったい日本人の誰が読むだろうか?」と私などは悲観的だった。難解あるいは晦渋とさえいわれたかれのテクストであるが、しかしシカゴ大出版会の英訳の刊行、藤原書店その他による粘り強い邦訳刊行などがあって、かれを読む人がじわじわと増えていたのだ。衝撃力のある著作ならば人はどんな迂路を経てでも読もうとするものだ、ということである。
 ブルデュー理論とはけっきょく何か。要約とはつねに危険なものであるが、とりあえず、それは不平等、序列化、支配などの関係を含みながら進む社会の生産、再生産において文化的なものの演じる役割を明らかにしようとする理論であり、行為者とその実践(プラティック)の理論を中心に含むものであるといっておきたい。そして、「ハビトゥス」、「文化資本」、「界(場)」などの基礎ターム、あるいは「学校を前にしての不平等」、「文化的好みと〈必要性への距離〉」、「構造の所産でありつつ、実践の創出原理でもあるハビトゥス」などの命題が、人々の認識・思考を刺激し、揺さぶってきた。

ブルデュー没後一周年
 ブルデューの没後一周年をめどに、日本におけるブルデューの理解、評価、その研究への影響を問う一書をまとめたいと考え、共編者の石井洋二郎氏と共に作業を進めてきた。ようやくそれが日の目をみることになり、ほっとしている。一五人の著者の寄稿を得、その分野は、社会学、教育学、言語学、人類学、歴史学、経済学、法学、文学、芸術学、科学論に及び、現在考えられる最大限の執筆者に参加してもらえたと自負している。それぞれの分野からの、ブルデューへのアプローチまたはブルデューによるアプローチを集めることができ、読ませてもらい、私も大いに勉強になった。石井氏も同じ感想であると思う。もちろんブルデューへの批判を含んだオマージュもあって、「なるほど、そういう見方もあるのか」と教えられたものも少なくない。多くの読者の方が本書を手に取り、日本人執筆者とともにブルデュー再発見を行って下さることを期待する。

(みやじま・たかし/立教大学教授)