2002年11月01日

『機』2002年11月号:いま明かされるゾラの全貌  ──〈ゾラ・セレクション〉発刊に寄せて── 宮下志朗

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暗雲立ちこめるいまこそ
 日本経済もなかなか立ち直りを見せないし、世界情勢もはっきりしない。新しい世紀に突入したはいいけれど、暗雲立ちこめて、なにやら視界不良の感がある。現代文明は、ひとつの壁にぶつかっているのではないのだろうか。――こんなふうに思っている人々も多いにちがいない。 そんなときは、まず足下を確かめてみるのが賢明だ。現代社会が誕生する時代にタイムスリップして、われわれが抱えている問題の根源を見定めるのである。この際、イギリスならばディケンズ、フランスならばゾラといった、社会に対するパノラミックな視点を与えてくれる作品を、じっくりと腰をすえて読んでみたらどうであろうか……。

『ルーゴン・マッカール』叢書の野望
 十九世紀後半、商工業が発展し、都市化が進行し、情報化の時代が幕をあけたパリの街にあって、時代とともに歩んだ作家、それがエミール・ゾラ(一八四〇 ―一九〇二)だ。では、代表作『ルーゴン・マッカール叢書』全二十巻の仕掛けをごぞんじだろうか。それは南仏でアデライード・フークが、ふたりの男との間にもうけた子や孫たちの運命をめぐるダイナミックな物語の連載である。主人公たちは、各巻で、実業家・芸術家から、労働者・農民、はては娼婦へと、さまざまに枝分かれしていって、彼らの視点から物語が描かれるから、彼らの生きざまを追いかけているうちに、読者の脳裏にはおのずと、近代産業社会の全体像が、その矛盾とともに立ち現れるという仕組みなのである。この巨大なフレスコ画は、なんとも野心にみちた試みなのだ。

資本主義社会を占う最高のテキスト
 とりわけ、近代都市にうごめく物欲は、ゾラが偏愛した主題であった。バブルや地上げが描かれた『獲物の分け前』の主役サッカールは、『金』にも再登場して、証券取引所を舞台に株価操作やインサイダー取引を演じてみせる。一方、ブランド品に憧れ、バーゲンセールに殺到するという、大衆消費社会における女性のショッピング嗜好だって、『ボヌール・デ・ダム百貨店』というデパート小説にみごとに結晶している。 ゾラを、文学史の無味乾燥な記述のなかに埋没させてはいけない。この上なくアクチュアリティにみちた、濃密な物語群は、さまざまの矛盾をかかえた高度資本主義社会を占うための、最高のテクストなのだから。

知られざる傑作を清新な訳で
 そこでわれわれは、このたび、ゾラ没後百周年を期して〈ゾラ・セレクション〉を発刊する。文庫などで読める『居酒屋』『ナナ』といった定番は、あえて外し、その代わりに、『ボヌール・デ・ダム百貨店』『金』『パリの胃袋』といった、知られざる傑作を清新な訳でお届けしたい。いや、小説だけを選び抜いたわけではない。スキャンダルを巻き起こしたマネの《オランピア》の現代性を真っ先に賞賛したのは、若き日の美術批評家ゾラであったし、ドレフュス事件で、このユダヤ人擁護の論陣を張り、知識人としての使命をまっとうしたのは、晩年のゾラであったではないか。美の狩人としての、真実の人・正義の人としての、ゾラの文章も紹介する。かくしてエミール・ゾラの全貌が、初めて姿をあらわすのである。ぜひとも、お読みいただきたい。

(みやした・しろう/東京大学教授)