2011年11月01日

『機』2011年11月号:マグレブを代表する女性作家 持田明子

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アシア・ジェバールについて
 アシア・ジェバールは一九三六年、フランスの植民地であったアルジェリアの首都アルジェに近いシェルシェル(かつてセザレーと呼ばれた)に生まれ、十八歳までアルジェリアで過ごす。アルジェリア独立戦争開始直前の五四年十月、パリのフェヌロン高校に入学、翌五五年、女子高等師範学校(セーヴル校)にアルジェリア出身の女子として初めて入学し、歴史学を専攻。一九五七年、二〇歳のとき、アシア・ジェバールの筆名で最初の小説『渇き』を発表、アメリカで翻訳され、好評を博す。五八年夏から五九年の夏にかけて、チュニスに滞在し、ジャーナリストとしてFLN(アルジェリア民族解放戦線)のフランツ・ファノンに協力。五九年九月から三年間、ラバト大学(モロッコ)でマグレブ現代史を、六二年から六五年までアルジェ大学でアルジェリア近・現代史を、二〇〇一年からはニューヨーク大学(米国)でフランス・フランス語圏の文学を講じる。映像作家としても活躍し、七九年には、『シェヌア山の女たちのナウバ』がヴェネツィア・ビエンナーレで国際批評家賞を受賞、観客・報道関係者から熱狂的な支持を受ける。一方、執筆言語として選んだフランス語で、『居室のなかのアルジェの女たち』『愛、ファンタジア』『メディナから遠く離れて』『広大なり、牢獄は』『わたしに絶えず付きまとうあの声たち』などを始め、豊饒な創作活動を続けている。その間、モーリス・メーテルランク賞、ノイシュタット国際賞、マルグリット・ユルスナール賞など多くの賞を受賞、一九九九年には、ベルギー王立アカデミー会員に、二〇〇五年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれる。


アルジェリア戦争とは
 〈一八三〇年六月、フランス軍、アルジェに上陸。七月、アルジェ占領〉に端を発したアルジェリア征服戦争は、一八四七年、アブド・アルカーディルの降伏、翌四八年、フランスが憲法によりアルジェリアをフランス領の一部と宣言し、アルジェリアに三県(アルジェ、オラン、コンスタンティーヌ)を設置して終わり、その後、百余年におよぶ植民地時代が始まった。
 一九五三年、ラオス、カンボジアが相ついでフランスから独立し、翌五四年五月、ヴェトナム北部のディエンビエンフーでフランス軍は歴史的敗北を喫した。その影響が波及し、同年一一月、FLNが蜂起し、アルジェリア独立戦争が勃発。五六年、活発化するFLNのゲリラ活動に対し、フランス政府は大量派兵による強硬手段をとり、翌五七年、凄惨な「アルジェの戦い」に発展。アルジェリアが独立を果たすのは、五年後の六二年七月のことである。

『墓のない女』について
 本書は、今日、フランス語を表現言語とした、マグレブを代表する作家アシア・ジェバールの『墓のない女』(二〇〇二)を訳出したものである。
 〈アルジェリアがフランスからの独立を求めて戦った時代に、古代ローマの遺跡が残る古都セザレーのヒロインだったズリハの生涯と死〉の物語が、深い象徴性を帯びたエクリチュールと独創性の際立つポリフォニックな作品構成で語られる。
 物語の語り手は映像作家である。〈わたし〉は、一九七六年春、テレビ用のとあるドキュメンタリーを仕上げるためにアシスタントたちを伴って、自分の生まれた街シェルシェル――はるかな昔、マウレタニア王国の首都であったセザレーに戻ってくる、そして、この地に暮らしたズリハの情熱と悲劇的な物語を知る。
 ズリハの生涯の真実を照らし出すために、語り手は、ズリハの周りにいた女たちから聴き取りを行い、いくつもの声を集める。これらの声の〈ポリフォニー〉が、女たちの涙やため息や身ぶりとともに、ズリハの生涯を再現する。 (後略 構成・編集部)

(もちだ・あきこ/フランス文学)