2011年11月01日

『機』2011年11月号:リベラルな保護主義に向けて――「市場」を規定する政治 中野剛志

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国家の市場ルールへの介入
 保護主義といえば、連想される代表的な政策手段は、関税である。しかし、八〇年代以降のグローバル化が進んだ世界では、自国の市場を防衛し、あるいは他国の市場を収奪するための主要な政策手段は、もはや関税ではなくなっている。
 戦後のGATT(貿易と関税に関する一般協定)交渉の進展により、関税は既に相当程度引き下げられている上に、国際的な資本移動の自由化により、資本や企業は国境と関税を越えて容易に移動できるようになっている。このため、各国、特に欧米諸国は、自国経済の戦略的優位を高めるために、関税よりも強力な手段に訴えるようになった。
 すなわち、国家は、経済学が想定するような市場のルールを維持するだけの「夜警」であることをやめ、市場のルールそのものを自国に有利になるように積極的に改変することを企てるようになったのである。こうして、世界経済は、市場というルールの中での企業間の経済競争ではなく、市場のルールの設定を巡る国家間の政治抗争の場へと変貌することとなった。
 国際市場のルールが一定であれば、国際競争力の強化に成功した企業が生き残ることができる。努力した者が報われるという世界である。しかし、国際市場のルールが、企業の努力とは無関係に、政治の恣意的な裁量によって変更されてしまったら、これまで苦労して獲得してきた国際競争力が一瞬にして通用しなくなる。
 そのような国際市場のルールの典型が、通貨の交換比率である為替である。例えば貿易相手国が通貨を切り下げ、自国通貨が切り上がれば、相手国は瞬時に国際競争力を獲得し、これまでの企業努力の結果である競争優位はあっという間に水泡に帰するだろう。
 企業努力とは無関係に操作され得る市場のルールは、為替相場だけではない。国際会計基準、銀行の自己資本比率、規格、各国の国内規制(独占禁止法、社会的規制、安全規制、環境規制など)も、市場の内部ではなく、市場の外部から企業の競争力を左右する要因である。

企業の国際競争力は国家の政治
 八〇年代以降のグローバル化に伴い、アメリカの経済戦略の主眼は、市場の内部にいる企業の競争力を強化するアプローチから、市場のルール自体を自国企業に有利に変更するアプローチへと移行してきた。具体的には、一九八五年のプラザ合意によってドル安を誘導し、日米構造協議によって、日本国内の市場のルールを政治力によって変更しようとしてきたのである。その後も、アメリカをはじめとする先進諸国は、国際会計基準や国際金融規制の改変によって、自国に優位な市場のルールを設定しようとしてきた。企業の国際競争力を決定する最大の要因は、企業の能力ではなく、国家の政治力となったのである。
 そもそも「市場」とは、主流派経済学者が想定するように、諸個人の自由な経済活動の産物ではなく、政治や国家から独立した領域でもない。「市場」とは、財やサービスの交換のルールという「制度」であり、その制度を設計し、維持するのは政治であり、国家である。
 貨幣、私有財産制度、取引法制など、市場に不可欠なものはすべて、政治がなくては成立しえない。また、交換してはいけない財やサービスのルールを設定するのも政治である。
 自由な経済活動は、政治が設定した「市場」という制度の範囲内においてのみ認められるのであって、自由な経済活動の総体が市場を創るのではない。市場という制度の中で行使される経済的自由は、制度によって許され、場合によっては、制度によって誘導された活動なのである。このように各主体の活動を誘導し、実質的に強制するような制度の体系としての「市場」を、経済社会学者ニール・フリグシュタインに従って「アーキテクチャ」と呼ぶなら、今日のアメリカの国際経済戦略は、市場という「アーキテクチャ」を自国に有利に改変しようとするものであると言える。TPPも、アメリカのアーキテクチャ戦略の一環であることは言うまでもない。 (構成・編集部)

(なかの・たけし/経済ナショナリズム)