2011年09月01日

『機』2011年9月号:『ハイチ震災日記』 立花英裕

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新しい時代を告げるカタストロフィー
 日本でも連日報道されたので覚えている読者も多いにちがいないが、二〇一〇年一月一二日、ハイチは大地震に見舞われ、首都ポルトープランスが壊滅的な被害を蒙った。震災による死者は三〇万人を超えるとも言われる。以前からハイチに関心を抱いてきた訳者にとっては、なんとも衝撃的な出来事だった。十九世紀初頭に独立した誇り高き黒人共和国は、背骨を折られるような手痛い打撃を受けたのである。
 地震の強度はマグニチュード七・三だったので、備えのある日本なら、あんなことにはならなかっただろうとも言える。しかし、ハイチが直面していた困難を少しでも知っているなら、問題をそのように狭く捉えるのではなく、政治・経済のグローバル化と密接に結びついていると考えるべきだろう。今年になって、今度は日本が、東日本大震災による津波と原発事故というやはり国の屋台骨を折られかねない災害にあった。国情が異なるから被害の質も異なるが、どちらも二十一世紀に特有なカタストロフィーではないだろうか。
 当時の報道では、北半球の最貧国ハイチというような論調ばかりが目立った。国の規模に比べて文化活動が驚くほど盛んで、文学・絵画・舞踊などの水準が極めて高いことはほとんど触れられなかった。ハイチの文化的創造性がもっと紹介されてしかるべきだろう。ダニー・ラフェリエールはカナダのケベック州に在住しているが、現代ハイチを代表する文学者の一人である。

「いま・ここ」という「写生」の文学
 本書は『ハイチ震災日記』というタイトルになっているが、実際は「日記」というよりは、著者による震災の体験録である。ある文学フェスティヴァルに参加するためにハイチに到着したばかりの著者を襲った大地震到来の瞬間から始まり、目撃した人々の苦痛、焦燥、不安、恐怖が語られる。更には、フランケチエンヌやリヨネル・トルイヨのような文学者たちの行動、モントリオール市に戻ってから見るテレビの映像への違和感、再びハイチを訪れてから一緒に暮らした母親の家のことなどが描かれる。
 その文体は、速度感のある感性的な描写を基本にしつつも、次第にハイチの歴史や著者の少年時代の記憶、亡くなった友人たちの事績も交えられていき、誤解されがちなハイチの時空が内側から再構成されていく。現代世界への考察も挟まれていて、小説家らしい緻密な配慮が行き届いた作品に仕上がっている。
 ラフェリエールは日常のもつ時間の質を大事にする。「黒い手帳」を常に携帯して、見るもの聞くものを描いていく手法は、あえて一言で言えば「写生」だろう。その真剣勝負に挑む姿勢は、芭蕉を敬愛していることに通じている。
 彼は、『吾輩は日本作家である』(二〇〇八年)という意表を突くタイトルの小説を発表している。その中で、少年時代に三島由紀夫に夢中になっているとき、それがどこの国の文学かは意識しなかったと述べている。彼にとって日本文学は特定の国の特殊な文学ではなく、地球上のどこに住んでいようとも自己の時間として読むことができる普遍性をもっている。挑発的とも見えるタイトルは、類型的にハイチを捉え、エグゾチスムを求める読者への言語戦略でもある。
 言葉への信頼を通して日常生活の「いま・ここ」にこだわるラフェリエールの頑固な姿勢は、グローバル化と情報化によって場所感を喪失した二十一世紀にあって、思いがけなくも新鮮に見えるのである。

(たちばな・ひでひろ/フランス語圏文学)