2011年06月01日

『機』2011年6月号:音楽は本来、神聖なもの 米良美一+石牟礼道子

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「幻楽四重奏」とともに
【米良】 道子先生がお書きになる文章は、旋律の流れる歌のごとあって。


【石牟礼】 私、文章で歌をうたいたいと思って。


【米良】 本当に、もうそのとおりですよ。歌をうたう、鼻歌をうたうようにさーっと読めて、すーっと体の中に入って、中であったかい気持ちになって。もうすごく大好きです、道子先生の文章。勉強になります、そしてとても触発されます。


【石牟礼】 音を書きたいと思っているんですけどね。


【米良】 音ですよ。音楽がきこえてくるとですよ。音が立ってくるとですよ、紙面から飛び出して立ってくるんです。


【石牟礼】 うれしい、そうおっしゃっていただければ。私、一年半前ですがけがをして記憶がまるまるないんです、倒れたときから二カ月半ぐらい。最近、考えるんですけど、まだ完全に人ごこちついてない、記憶喪失の期間があるわけでしょう。どうしていたんだろうと思いますけど、ゲンガク四重奏団という、ゲンは幻、幻楽四重奏という、私の専用の楽団がついていましてね。弦楽器の低音のほうから演奏するんです。目が覚めるときとか、眠りに入るときとか、何か思いわずらっているときとか、すぐ鳴るんですよ。このごろずっとそれを考えていますけどね。「元祖遺伝子」が夢をみる、つまり生命がまだ生れる前の元祖の遺伝子が夢みた世界、それはいまの現世でもあるし、あの世でもあろうし、何か宇宙的な、言葉もふくめて音楽の誕生というのを……、そういうのを演奏している。それを背景音楽にして、この世に帰ってきた気がする。


【米良】 すごい。そういうの、私はなんかわかります。


【石牟礼】 わかるでしょう。音楽って物語の一番の要素ですよね。


【米良】 はい。そして音楽というのは、基本的に人間の歴史のなかで、西洋だろうが東洋だろうが、必ず神と交信する。天、宇宙と交信するために使われてきた、本来は神聖なものですよね。それが世俗的にいまはなりましたけど。


【石牟礼】 そうそう、そういうことなんです、私が感じるのは。


【米良】 はい、わかります。うーん、素晴らしい。その意味は納得はしていますけれども、私の周りでそれが鳴ったことはまだないので。私もいつかそういう経験ができればいいなと思いますけれども……。


【石牟礼】 それが大変うれしくて。それでこの俗世のいっさいとひき比べても、そっちのほうが大事。

幼い頃からの歌との縁
【石牟礼】 うたいよりなさいましたか、小さいときから。


【米良】 はい、三歳ぐらいから「岸壁の母」という歌が得意で。地元のじいちゃん、ばあちゃんが涙流して。ボットン便所のちり紙をみんな年寄りの人たちは四つ折にして、袂に入れて。


【石牟礼】 泣こうばいと思うて。


【米良】 はい。それを出して涙を拭こうと思うた人もおられたかもしれんけど。多い人は千円札、五百円札、少ない人は二百円とか三百円、おひねりにしてくださるんですよ。するとやっぱり親はうれしそうで、肉体労働の安い賃金で、ケガばっかりしよるから病院に銭ばっかりかかって。そうしとったから、うれしそうにおひねりをありがたくもらっとった姿が目に焼きついて。「お前ん家はたたられちょるから、そげな子ができたっちゃ」とか、「先祖が悪いことしたからそげなからだが弱い子が生まれたっちゃ」ておっしゃる世間様が、私が歌をうたうとうらやましがるとです。それが子供ながらにうれしくて。私が歌をうたえば人がこんなに大事にしてくれるというか、世の中に受け入れてもらえると思うて、それで歌をうたいだしたんです。


(構成 編集部)
(めら・よしかず/歌手)
(いしむれ・みちこ/作家)