2011年04月01日

『機』2011年4月号:人間の根源的なあり方に迫る 村上陽一郎

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科学から思想の世界へ
 多田富雄さん
 あなたのような存在をなんと名付ければよかったのでしょうか。
 科学の世界でのたこつぼ化は、日々進むばかりです。科学研究の持つ本来的構造が、専門分化への指向性を備えている上に、レフェリー制度のような、現代の研究制度もまた、分化傾向を助長しこそすれ、歯止めには成りません。その小さなたこつぼのなかでさえ、いやな言葉ですが、国際的業績をあげるのに、研究者は日夜力を尽くし、必ずしも報われないのに、あなたは、斯界の誰もが認める大きな仕事を成し遂げられ、さらにその分野で、多くの研究者を育ててこられました。
 しかし、それが如何に偉大なことであれ、あなたは、そこに安住され、満足されませんでした。あなたの仕事の可能性は、ご自分の科学研究の成果を土台にしながら、名著として語り継がれる『免疫の意味論』以降、思想の世界にも展開しました。通常現代の科学研究者は、自分の狭いたこつぼに住む同僚たち以外に、コミュニケーションの相手を持ちません。国内、海外を問わず。たまに、その境を超える冒険を試みる人がいても、多くは無残な結果に陥ります。しかし、あなたのこの領域での活動は、思想の世界に生きる人々に、正面から受け入れられる希有な例となりました。

揺るがぬ清冽な倫理観
 しかも、文筆の世界でのあなたの活動は、それだけにとどまりませんでした。短歌を含む詩作の世界でも、多くの人々に感動を与えるものが生まれました。その可能性は、やがて、趣味の域を超える能楽の小鼓の素養をもとに、新作能の世界にまで広がりました。科学と文芸の二つの世界で名を成した方は、過去にも少なくありません。また新作能自体も珍しいことではないでしょう。しかし、例えば過去に、土岐善麿と喜多六平太(一四世)との関係から生まれた新作能の傑作などを考えれば、文芸と能楽とは自然に繋がれても、「一石仙人」のように、科学の世界と作能というジャンルをつないで一流の成果を上げることは、あなたにしかなしえなかったことだと思います。
 さらに、その間に綴られたエセーの数々は、病を得られてから、むしろ凄絶な力を発揮しました。凄絶というのは、無論、病の結果である身体的な不自由さを超人的な力で克服されての執筆であった、という点にも加えられる形容ではありますが、人間の根源的なあり方において、揺るがぬ清冽な倫理観から、社会の不正に迫ること、つまり内容に対しても使われる形容であったと申せましょう。それが、私ども世の小さき存在にとって、どれほどの力となったか、これからもなり得るか、はかりしれないものがあります。
 これだけのことを成し遂げられ、なお思い半ばであられたであろうあなたに、私どもは、どういう名をお贈りすればよいのか、またあなたの衣鉢をどう受け継いでいくべきなのか、あなたと幽明境を異にした私どもは、まだ混迷の中におります。ただ、有り難うございます、重なる苦しみから解放されて安らかにお休みなさい、と申し上げるのみです。


平成二十二年六月十八日
(むらかみ・よういちろう/
東洋英和女学院大学学長、東京大学・国際基督教大学名誉教授)