2011年04月01日

『機』2011年4月号:宗教と革命 R・アスラン

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デモの主体は失業青年たち
 先週来〔本稿は二月二日『ワシントン・ポスト』紙に掲載された〕、エジプトから流れてくるドラマティックな映像は、三〇年にわたるアメリカの盟友ホスニ・ムバラクの独裁の終焉を示唆している。
 世界が注視しているのは、アラブ世界を揺るがしている最近の市民蜂起からどんな国が生まれてくるかという点だ。だが、アメリカでは、中東と言えばつい、イスラーム独自の問題にこだわり、とくに、「ムスリム同胞団」がエジプトの将来にどんな役割を果たすことになるかという話題になりがちだ。共和党の次期大統領候補リック・サントラムはすでに、残酷で抑圧的なムバラク政権の打倒を呼びかける若い抗議者と、三〇年前、もう一人の卑劣な独裁者で元アメリカの盟友だったイランの国シャー王を打倒した市民の抗議行動を同列に置いている。「われわれが〔国王を〕見捨て、代わりに得たものは……急進的なイスラーム体制だった」とサントラムは言う。もう一人の共和党大統領候補マイク・ハッカビーも、こうしたヒステリックな論調に呼応し、「もしも〔エジプトの〕不穏な社会情勢の裏にムスリム同胞団がいることが事実であれば、命ある者はみな、目をそらしてはならない」と語った。
 そこでまず気をつけなくてはならないのは、「ムスリム同胞団」は反ムバラク蜂起の発起人でもなければ(それどころか、同調するのもずいぶん遅かった)、その後の主導権も握っていない点である。「同胞団」はエジプト最大の反体制運動組織ではあるが、世界の注目を浴びたデモを煽動したのは、大半が失業中の数十万人のエジプト青年たちだった。彼らは長年にわたるムバラク体制に最も意義ある挑戦に立ち上がったことによって、「ムスリム同胞団」を含むエジプトのこれまでの伝統的な反体制グループの株を完全に奪ってしまった。エジプト人学者エマド・シャーヒンは『ニューヨーク・タイムズ』紙にこう語っている。
 「同胞団はもはや、政治領域での最有力活動集団ではなく……〔主役は〕若者の蜂起だ。役者は、メディア、インターネット、フェイスブックの利用法を知っている青年層で、つまり、これまでの活動家とは別人である」。

ムスリム国の民主化と宗教
 だが、早とちりしてはいけない。エジプトの昨今の蜂起がどのような方向に展開するにしても、「ムスリム同胞団」はムバラク以後のエジプトで重要な役割を果たすことは間違いないからだ。エジプト人の圧倒的多数――二〇一〇年のピュー・リサーチ・センターの統計によれば九五%――が認めているのは、この国の政治にイスラームが一定の役割を果たすべきだという考え方である。同様に、二〇〇六年ピューの統計によれば、欧米の一般人の大半は、民主主義は「欧米的なことの運び方で、ムスリム国にはほとんど通用しない」と考えている一方、調査を行なったムスリムが多数を占める国の大部分が、そのような主張をきっぱりと否定し、自分たちの社会に民主主義を、ただちに、無条件で樹立するべきだと声高に叫んでいる。
 アメリカ国民の大部分と同じように、ハッカビーやサントラムにとっては、この二つの統計結果は矛盾した事実のように見える。つまり、アメリカでは、イスラームは本来民主主義と相容れないものであり、ムスリムが民主主義の価値観とイスラームの価値観に折り合いを付けることができないのは当然だと考えられている。
 ところが、宗教は中東で台頭しつつある民主主義に何の役割も果たすことはできないはずだと嘲ける人たち自身が、アメリカの民主主義には宗教が役割を果たすべきだと要求しているのだ。皮肉なことに、政治における宗教的行動主義の強硬な支持者の一人がマイク・ハッカビーで、「この国をキリストの教えに立ち返らせる」べきだと、繰り返しアメリカ人に呼びかけ、大統領への立候補に当たっては、「われわれのやるべきことは、憲法を改正して、神の掟に合わせることである」と誇らしげに宣言しているのである。

*全文は『環』45号に掲載(白須英子・訳)
(Reza Aslan /作家・宗教学者)