2011年04月01日

『機』2011年4月号:自由貿易の神話 E・トッド他

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自由貿易とは何か
【E・トッド】 まず私が専門家としてお話しできるテーマ、民主主義と自由貿易から始めます。この問題は非常に単純な形で要約できます。労働市場を地球全体で統一すると、ある一定の時間の後には地球レベルで存在する格差が各国社会の中で再現されて、先進国の豊かな社会では不可避的に格差が増大します。したがって、再び貧困者が登場するということになります。すなわち、自由貿易につきものの格差の問題と、すべての人間が平等に生活あるいは行動できるという民主主義との間に、根本的な矛盾が生じます。
 この問題は、現在の自由貿易の状態では、全体としての富の増加さえ実現できていないことにより、悪化しています。地球全体で賃金競争が起こるために、賃金レベルが引き下げられます。その結果、地球全体で需要不足が起こります。
 第一段階では、このような需要不足の傾向は、アメリカの貿易赤字によって、いわば相殺あるいは補てんされるわけです。そのことによって、アメリカの貿易赤字がふえていく。まさにそのためにアメリカの金融システムが崩壊し、世界的な経済危機が起こったわけです。
 自由貿易主義というのは、その理論的枠組みからして、格差をもたらすものであるにもかかわらず、なぜ先進国ではそれを今まで維持してきたのか。私にとって説明は簡単で、民主主義と平等主義的な感覚が強くなってきた要因は、歴史的プロセスとしての大衆の識字化です。すなわち国民全体が読み書きできるようになったと意識した時に、民主主義的な平等の感覚も定着したのです。一方では第二次大戦後の中等・高等教育の進展によって、先進国においては教育に関する限り階層化が起こりました。即ちこの時期の格差の拡大の下部構造として、経済よりも深いところにある、教育という現象、メンタリティの問題が横たわっていると思います。

民主主義の危機
【E・トッド】 もう一つ、非合理的というか心のレベルでの自由貿易への志向は、集団的な偉大な信仰がなくなったのが要因です。国民全体の識字化の達成に、この集団的な信仰が結びついていたわけです。一国の国民全体という集団、ある階級集団に属しているという感覚、あるいは宗教的な集団的信仰。そういった集団的信仰が消滅したことによって、先進国ではあるけれども個人が非常にアトム化された状況になりました。
 したがって、現在の状況を経済的に分析すれば、非常に単純な形になります。それに対する経済技術的な解決策も単純で、国民国家を超えたレベルで保護主義を導入することです。しかしそのような超個人化された社会において、日本というよりは西欧とアメリカを念頭において申しているのですが、この保護主義という集団的な解決策は、それが集団的な性格を持つものであるが故に不可能になっています。
 保護主義は集団的なプラスの意味を持った企てであって、それによって国内の賃金レベルは上がります。それがひいては、国際貿易に再び活力を呼び戻すことになると考えています。ところが集団的信仰の欠如によって、今のところそのような解決策は不可能です。
 世界で最初の民主主義国、アメリカ、イギリス、フランスといった国は、いま申し上げたような問題が他の国より強く現れています。例えば教育水準の格差、経済格差は、ほかの国よりもこの三ヵ国で大きくなっている。比較の対象は、より最近民主主義化した国、第二次大戦以前には民主主義国とさえみなされていなかったドイツ、日本といった国が挙げられます。ところでドイツと日本では平均的な教育水準がより高く、経済格差も最初に挙げた国ほど拡大していない。すなわち、民主主義が生まれた国において、まさに民主主義の危機というものが深まっている。矛盾しているように見えますが、非常に論理にかなった状況でもあります。

自由貿易/国家間関係/民族の力という三位一体
【佐藤優】 今のプレゼンテーションに、大変に知的な刺激を受けました。それとともに、トッドさんの背景には、形而上学があるように思われます。


【トッド】 そのとおりです。


【佐藤】 ですから、ほかの人に見えないものが見える。それは何かというと、自由貿易プロセスが進むと、必ずそれに反対する力がどこからか出てくる。反対する力というのは、一つは民族であり、もう一つは国家です。
 さてトッドさん、この自由貿易と国家間関係と民族の力、まるでキリスト教の神の三位一体のような構成になっています。この枠組みから人類は抜け出すことができるのでしょうか。あるいは、この枠組みの中で力点を変えながら生き残る方策を考えないといけないのでしょうか。

公正と正義をどう考えるのか
【王柯】 むしろ自由貿易をやめて保護主義の方がいいという話に対して、私は私なりにちょっと納得できないところがあります。私たちが理解しているフランスのいわゆる社会科学の原点は、平等を求めることでした。しかしこのことを考えるとき、トッドさんの視点に「平等」の限界が感じられ、「平等」を図る単位も混乱しているように感じられました。今、国民国家レベルの保護主義というふうにおっしゃいましたが、トッドさんの話からは、ヨーロッパ単位、あるいはアジア単位の表現も見られます。ジョン・ロールズの言う「公正としての正義」が実に重要な命題を提示しました。つまり公正があって初めて正義が成立します。このような公正は、一つの国民国家、あるいは一つの欧州の境によって限られてその中で図るものではありません。自由貿易のおかげで、たくさんの貧しい国の人々の賃金が上がったという事実も、私は無視してはいけないと思っています。

欧米と日本の時代は終わりつつある
【榊原英資】 トッドさんのお話は確かに今アメリカがリードしてきた市場原理主義という、自由貿易の原理が必ずしも適切なものではないという意味では、非常に説得的だと思います。ただ、この見方は極めてヨーロッパ的というか、先進国的。中国の側、あるいは新興市場国の側から考えると、賃金が上がる、あるいは需要が拡大するということですね。グローバルに考えれば、これから問題は需要不足ではなくて資源不足、エネルギー不足、あるいは食糧不足であるという時代に入ってくるのだろうと思います。
 非常に大胆なことを言わせていただければ、欧米の時代と日本の時代が緩やかに終わりつつあって、過去四千年、五千年の歴史の通常のパターン、中国とインドが中心に戻っていくということではないかと思います。

国内的・国際的ジレンマと近代化
【小倉和夫】 現在、先進民主主義国ということだけをとれば、政治的なジレンマに直面していると思うのです。国内的なジレンマと、国際的なジレンマです。
 国内的に言えば、政治に対する不信感ですね。一種のポピュリズム的な傾向もあります。もう一つのジレンマは、国際的な社会における、文化と経済はますます相互依存関係がふえて、グローバル化している。ところが、選挙は一つ一つの国の中でしますから、政治は国境をなかなか越えられません。そういうときに各国家のナショナリズムを克服して、国際的な民主主義を実現する方法は何か。
 最後に、第三番目の大きな問題は、近代化です。これからのフランス、ドイツ、アメリカ、日本が、開発途上国に、経済発展の先にある政治的なシステム、政治的なあり方について民主主義がさらに行き着くところ、ポストモダニズムの世界で理想的な、政治的なものというものは、いかにあるべきかについての回答を、我々が提示できるかにかかっているのではないかと思うのです。 (構成・編集部)

*全文は『環』45号に掲載
(Emmanuel Todd /歴史人口学・人類学)
(さとう・まさる/作家・元外務省主任分析官)
(おう・か/神戸大学大学院教授・中国近現代史)
(さかきばら・えいすけ/元大蔵省財務官・経済学)
(おぐら・かずお/国際交流基金理事長)
(小林新樹・訳)