2011年03月01日

『機』2011年3月号:こだわって生きる 金時鐘

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受賞の知らせを聞いて
 思いもよらない、というよりもまったくもって唐突な受賞の知らせでした。事情を呑みこめない私は聞き違えるはずのない電話の声の主、選考の結果を親しく報せてくれていた吉増剛造氏のあのおだやかな口調までいぶかしくて、貴方はどなたなのですか?と尋ね直したほど失礼を重ねてしまいました。
 日本語での詩作にかかわって茫々と六十年も費やしてきた私ですが、詩壇的評価が私にあろうとは正真いささかの期待もしたことはありませんでした。まずもって私は民族的、市民的権益から無権利状態を強いられてきた在日朝鮮人のひとりであり、自分のもつ日本語からして、歪いびつな皇国臣民に私を作り上げたかつての植民地言語が下地を成している言葉ですので、その業のようなしがらみから自由ではありえない私であるという点からでも、私は日本の現代詩の圏外の者でありました。同じように日本の現代詩もまた、他者とは兼ね合うことのない優れて私的な詩でもあったのでした。
 もちろん思いを深く通わせ合える詩人も少なくなくいはしましたが、それでも日本の現代詩は総じて、観念的思念世界の言語操作です。それだけにひとり外れている自分の在りようがむしろ、自分の詩への自負ともなってきました。ところがこの度図らずも高見順賞の栄に浴しまして、意地を張りとおしているつもりの自分の拠り所が何か心許なくなってきました。やはり私は日本語の領分の詩の同調者であり、偏って生きている金時鐘に光を副えてくださったのもまた、本賞の選考委員各氏に見るような日本の現代詩の中枢を成す詩人たちに依ってでした。もはや依い怙こ地じである理由は私にはなく、自己独特の命題の普遍化が突きつけられているのだと、自分につぶやいているところでもあります。

達観することのない執着
 雑多に長い六十年を経て、私はいま初めて日本の詩壇から仲間うちの誘いを受けました。いや大先達高見順先生の遺徳に慈しまれました。実は私は早くから、本賞とは関わりなく詩人(詩人は小説も書くが、小説家は詩は書けない。)高見順の達観することのない生の軌跡に魅入られてきました。絶筆ともなった詩集『死の淵より』に見るような生きていること自体をいとおしむ執着力は、ゆらめく燐光さながらの凄絶な意志力です。
 人も知るように、高見順は転向の文学者としてつとに知られてきた物書きです。正確には強いられた転向文学者というべきですが、軍国日本という絶対権力の下でそうせざるを得なかった弱い自己にそれでも容赦がなく、左翼くずれの作品を自嘲の筆致で書きとおした詩人・作家でもあります。私が共感以上のものを抱きつづけてきたのはまさにその厭くことのない自己凝視と、かつてそうであった自己への偽らない執着です。
 大先達の高見順と比べるのはいかにもおこがましいことですが、私とても日本語で育てられた自己への反問は今もってつづいています。一九四五年八月十五日、蘇ったという祖国、朝鮮に押し返されはしましたが、私は本当にそれで解放されたのか、どうか。言いかえれば私は何から解放されたのだろうという、自己が成り立ってきたことへの反問です。この自己への問いは戦後この方、私の思考の原点ともなって今に至っております。達観することのない、むしろ達観してはならない執着があって、高見順先生がひとしお近しいのです。
 これまで私は結構長い作品を書いてきました。一冊の詩集は一つの主題に貫かれてあるべきだ、との思いからでした。ですが今日の情報機能は断続的な発信・伝達です。詩に例えれば片々たる作品も連関性を通底さすことで、叙事性をも脈打たすことができるということです。実感を損なわない簡明な詩行を心掛けて、短く切りつめた作品を拙著『失くした季節』は連ねました。選考委員の先生方のお目にとまり、素直に喜んでいます。ありがとうございました。

(キム・シジョン/詩人)